【劇中歌MV公開】『hana-1970、コザが燃えた日-』松山ケンイチ×かりゆし58 鼎談in沖縄
栗山民也×畑澤聖悟(こまつ座「母と暮せば」)
返還直前の沖縄を生きる人々を描く『hana-1970、コザが燃えた日-』が来年1/9(日)開幕する。
本作の劇中歌として使用されているフォークソング「
ザ・ピーナッツや忌野清志郎、Mr.
世界一有名な反戦歌とも言われている。そしてこの度、劇中で実際に歌声を披露する
沖縄出身で本作で舞台デビューするナ
監督は、来春公開される、本作同様コザ市を題材にした映画「ミラクルシティコザ」の脚本・
本作の稽古に入る前、役作りの下準備として当時の様子や時代背景を勉強するため
沖縄に
ギターの新屋行裕とともに、実際に沖縄で取材してみて感じたことを語ってもらった。
上原千果×かりゆし58「花はどこへいった」MV
URL:上原千果×かりゆし58「花はどこへいった」MV – YouTube
かりゆし58プロフィール
2005年4月沖縄で結成の4人組バンド。沖縄音階にロック、レゲエをチャンプルーしたサウンドと、
かざらない言葉でメッセージを発信し、世代を超え人気をよんでいる。2006年2月ミニアルバム
『恋人よ』でデビュー。母への感謝の気持ちをストレートに唄った「アンマー」
日本有線大賞新人賞を受賞。今年2月22日にはデビュー15周年を迎え、最新作『HeartBeat』を配信リリース。
沖縄で生まれ育った彼らならではの『島唄』
哀しい境遇にいる人たちに寄り添うような歌を
松山ケンイチ(以下、松山):劇中に『花はどこへいった(Where have all the flowers gone)』を
出演者が歌うシーンがあるんです。すごく素敵な歌なんですが、それがどういうふうに伝わるように演じればいいのかが難しくて。
前川真悟(以下、前川):童話みたいな歌詞ですもんね。説得力とか歌唱力とかより、
今回沖縄にいらしてますけど、日本の中でもベトナム戦争が身近にあった島の空気を吸って、
それを吐くときに偶然、歌詞とメロディがあったくらいの感じで歌ってもらえれば沖縄らし
松山:この曲って慰めの曲なんですかね。それとも前向きな曲なんですかね。
前川:解釈については、誰もこれとは言えないと思うんですけど、僕はいろんなものがめぐりめぐるさまを、
つぶさに純粋にスケッチしたんだと思います。だから悲しく感じるかもしれないし、
やさしく感じるかもしれない。もちろんメッセージはあるでしょうけど。
松山:いろんな立場の人が、いろんな想いで歌うような曲なんですね。
前川:だと思います。
松山:今回、いろいろと沖縄を回らせていただいて話を聞いて、ものすごく複雑な気持ちなんですよね。
日本とアメリカの立場と視点。そしてナイチャー(沖縄の人が本土の人のことを指す言葉)
立場がそれぞれ違う気がして。決してそれがいいとか悪いとかではなく、複雑に絡み合っているので、
劇中で描かれるコザ騒動にしても「こういうものだった」
だからすごく難しい。とんでもないことをやろうとしているのだと沖縄に来て実感しまし
この作品と向き合うにはコザ騒動(※)
やっぱり戦争中に起きた出来事、もしかしたらその前にあった出来事とかが全部つながってくるんで
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*コザ騒動とは?
1970年12月20日未明、アメリカ統治下の沖縄コザ市で、アメリカ軍人が沖縄人をひいた交通事故をきっかけに、
沖縄人がアメリカ軍関係の車およそ80台に火をつけた事件。背景には、アメリカ軍施政下での圧制や人権侵害に対する沖縄人の不満があっ
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前川:この島には本当に世界の縮図みたいなところがあって。
「沖縄で起こっている問題を解決できれば、世界中の問題を解決できる」という人もいます。
貧困や政治の歪み、国と国の軍事力の境界とかいろんなものがありますけど、だからこそ複雑で多面性がある。
僕らの周りにいる先輩とかからしか話は聞けていないんだけど、結局自分の中で「これを信じたい」
強くかざすことが自分を救う真実になるし、ひいては周りにいい未来を生み出す真実になると思っていて。
さっき松山さんがおっしゃった「
ヒントになるかどうかはわかりませんが、コザにはアメリカと日本、そして沖縄の三つ巴があった影響で
ロックの街と言われているんで
この間お話を聞いたんですけど「
松山:それはどういうことですか。
前川:
それこそ帰ってこられるかわからない戦場へ送られる
兵隊たちがレコードやテープで持ってきたものを耳で一生懸命コ
そこにあったのはブルースや黒人音楽がほとんどで、それをやっているうちにだんだん誰かが大きな縛りでロックと言う
戦場に送られる彼らは故郷に帰ることなく、ここが最後に見た街になるかもしれないというときに、
鳴らす音楽をただやりたかっただけなんだとおっしゃっていて。
だからこれは誰かに届けるというより、そっと寄り添うような歌であってもいいのかもと思いました。
松山:勉強になります。今日、この前に話を伺ったのが沖縄とアメリカのハーフの方だったんです
だから思っていることもまた全然違う。沖縄とアメリカ、どちらの視点からも話をされていて、それもすごく興味深かったんですよね。
新屋行裕(以下、 新屋):ハーフだとおばあちゃんとかから「アメリカ―」
松山:コザ騒動のとき、アメリカ人は車をひっくり返されたじゃないですか。次の日が日曜日だったから、
当時子供だったその方は騒動の跡を見に行ったんです。そうしたら、そこにいたおじさんに
「お前、自分の顔を鏡で見たことがあるのか。早く帰れ」と言われて殴られたそうなんです。
そう言われて当時は意味がわからなかったけど、大人になってわかったという話をされていましたね。
前川:これは国と国の喧嘩だとか言っても「
松山:コザでも、白人と黒人とでは街が分かれていたと聞きました。
前川:以前、僕の実家が南部から空港の近くに引っ越して。小禄というエリアなんですけど、
そこは白人の将校が住む街だったんです。だからインフラも早めに整備されていたみたいで。そこで育った、
ちょうど復帰の年に中学校に上がるか上がらないかくらいだった先
東京に行ったんですが、そのためにベトナム戦争から帰ってきた方々の遺体を洗って日銭を
その先輩から「白人なんて誰も死んでないよ」と聞いて「ああ、やっぱりそうなのか」と思いましたね。
誰が人種で上下を決めるのか……
松山:そういうことってニュースにはならないですよね。
前川:そうなんですよね。
松山:ここで初めて知ることがたくさんありました。
過去は忘れない。
けれど誰かを憎みはしない島
前川:沖縄は小さな島ということもあって、バンドの間にも横のつながりがしっかりあって。
お互いの家を行き来したり、飲みの場で先輩後輩、ジャンルも超えて集まるんです。
でも意外とバンド同士がコラボした曲が今までなかったんですよ。
「仲がいいからそのうちやろうね」とか「いつでもできるね」
でも今回のコロナ禍をきっかけに、今卒業を迎える中高生は学校行事がほとんどできなかったから
「
沖縄中のミュ
みんなで一つの大きなバンドを組んで、みんなの歌を演奏し合ってステージにしよう」とか、
誰になにを残すのかという動きがはっきりしてきました。沖縄の音楽には暮らしの中に生まれて
暮らしに溶けていくというの
「
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Smile togetherプロジェクト
コロナ禍で迎える卒業を最高の思い出にするため、 沖縄県の高校3年生と沖縄の豪華ミュージシャンが共演したプロジ
https://smiletogetherokinawa.
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松山:沖縄には、この島は唐の文化になって、日本の文化になって、アメリカの文化になって、また日本の文化に戻って、
でもそれでもなんとかやっていこうという内容の、古い曲もあると聞きました。ここはある意味、
翻弄されてきた場所じゃないですか。今回の台本は沖縄が本土に復帰する前の話なんですけど、
やっぱりナイチャーの人たちからしたら日本というものを我が国だ
僕にはよくわからないところがあります。「日本人ってなんだろう」
前川:琉球と呼ばれた頃からの沖縄の歴史を見ると、虐げられてきた悲しみや痛みを探せば、いっぱい出てくると思うんですよ。
でも僕が誇りに思うのは……琉球王朝時代、この島は大陸、朝鮮半島、日本を始めとするアジアの交差点だったんです。
千年近く前には倭寇が暴れていて、大陸や半島の人たちを連れ去って沖縄に寄り、彼らを奴隷として売るんです。
彼らを買い取った沖縄の人たちがなにをしたかというと、彼らの出身地を聞いて出身地別に街を作って人数が100人、200人と集まったら、
出身地に船で送り届けたりしたんです。その間に首里城では強国の使節が来たときに喜んでもらうための芸
武力を使わず相手を受け入れることで国を立ててきた島なんです。自分はそこに生まれた芸能に一番誇りを持っています。
あとマルコ・ポーロの『東方見聞録』
ほかの国の行商人たちはちょっと脅せばみんな逃げていく。「安くしろ」
でも琉球人は「主から預かってきたものだから安くはできない。欲しかったら俺を殺してから持っていけ」と言う民族だと。
だからさっきおっしゃったように理不尽かつ無慈悲な暴力に虐げら
その中でも自分の命より相手からの信頼を大事にしていたことを誇
相手と溶け合おうとする沖縄の開かれた心に、自分の根っこを感じていたい。耳を塞ぎたくなるような、
目を背けたくなるような事柄を知らんぷりすることはないけれど、 最終的にたどり着くのは誇りと愛情でありたい。
松山:それは過去にあったことを許している、ということなんですか?
新屋:許しているとは違うよね。
前川:受け入れているんだろうね。忘れないけども。
新屋:そこを共有したいというか。一応、お互い人間という同じ生きものじゃないですか。
沖縄の人間としては、それを一番大切にしたいというのがありますね。戦跡の多い町で育ったので、
そういう過去はいっぱい教わってきたんですよ。でも、だからといって日本を憎めとか、アメリカを憎めとかは絶対に言わない島です。
前川:僕らは沖縄南部出身で、すぐ側にはひめゆりの塔や摩文仁の丘があって。でも「いつか仕返ししてやろう」
みたいな恨みつらみの連鎖は、俺たちのじいちゃんばあちゃんたちからもらってないからね。
「あのとき、お腹いっぱいものが食べられなかったから、あんたたちは食べなさい」とか、痛みの上に沖縄の人たちが残してきた思いはそういうもの。
きっと松山さんも今、こうやって真摯に沖縄と向き合えば向き合うほど、どう受け止めればわからない複雑さを感じるだろうと思います。
でも沖縄の人たち……、少なくとも俺たちが話を聞いてきたおじいおばあ、父ちゃん母ちゃんは、松山さんに
そんな気持ちになってほしいんじゃなくて。「よく来たね、 ご飯食べなさい」、
「沖縄の音楽最高でしょう?あなた歌いなさい」
ポジティブなものを信じ、 痛みや悲しみをやさしさへ
前川:住民なのか伏兵なのかがわからない。
松山:だから住民であっても殺さざるを得なくなる。基本的に戦争は兵隊と兵隊が戦うというルールがあると思うのです
そういった行為を日本兵がやったことで、失われずにすんだ命が失われていった。
すごく悲しい出来事だと思ったのですが、それはある意味、味方に殺されるということですよね…
前川:信頼していたはずの……。
松山:僕はそういうことをどう受け止めていいのかもわからない。
当時、鬼畜米英とまで言われていたアメリカの人たちの中にも心を痛めて
隠れている防空壕の中で泣き
教育だったのかもしれないですが、今考えるとやっぱり沖縄の人は日本が憎らしいんじゃないかと僕は
自分の中で消化できない過去ですし、それでも前を見てみんなでやっていく……
「とりあえず飯を食いなさい、 用事は飯を食ってからでいいから」と言って、
それで用事を忘れてまた来る、 そんな境地にどうやって行き着くのかが想像できないんですよね。
前川:底知れぬ痛み、悲しみから、それを底知れぬやさしさに変えていくというかね。許せるか許せないかは、
ひとからげには言えないと思うんです。だから人は歌うんじゃないかなと僕は勝手に思っているんですけど
6月23日というのは沖縄の陸上戦が終わった日なんです。そこから「戦争には負けたし多くのものを失ったけど、
6月24日は沖縄の人たちにとって大事な歌と踊りが甦った日じゃ
毎年6月24日にうたの日というイベントをや
ただ歌が人々の手に返されたことを祝うというイベントで。それで数年前、嘉手納でうたの日のイベントをやったときに、
アメリカ軍の司令官がBEGINが好きだということで、いつも飛び交っている戦闘機が一日飛ばなかったことがあったんで
それが本当の平和なのか、それが沖縄と日本と世界の和解なのかは置いておくけども、お互いの理解に向かおうとしたり、
恨みつらみを歌声や踊りに変えようとしたりする動きがあの時間を
ポジティブなものを信じて痛みや悲しみをやさしさに変えていくの
さっきも言った通り、痛みを忘れるということではないし。僕の場合、そこに身を置くと自分の身体の使い甲斐が
わかってきたというか。誰かの痛みを理解するなんてとてもできないけど、でもそこからなにかが生まれて、
なにかを感じて喜ぶ人が一人でも多くなるためなら、俺の心や身体は折り合いをつけながら動いていけるんじゃないかな
あの戦争から70数年という時を経て、若者から中年に向かって年を重ねる僕らがこういう話をしながら、次に向かって
なにか形にしたり、それを見た誰かになにか感じてもらうことはすごく建設的だと思う
僕はそうありたいし、そこに向かっていく仲間ならばアメリカもヤマトも関係ないんじゃ
松山:一言では言えないですが痛みの伝え方というんですかね。今の話を聞いていても、それは自分の中になかったと思いました。
どれだけ痛かったかを伝える、ということではないんだなと思いましたし、この気づきを活かしていければと思います。
前川:楽しみにしています。
(文:小杉厚/インタビューカット撮影:G-KEN)
【あらすじ】
1970(昭和45)年12月20日(日)深夜。
コザ市ゲート通りにある米兵相手のバウンショップ(質屋)
おかあ(余貴美子)、娘のナナコ(上原千果)、おかあのヒモのジラースー(神尾佑)
そこへ、アシバー(ヤクザ)となり家に寄り付かなくなった息子のハルオ(
おかあが匿っていた米兵を見つけ、揉めていると、バーに客がやってくる。
「毒ガス即時完全撤去を要求する県民大会」帰りの教員たちだ。その中には、息子のアキオ(岡山天音)もいた。
この数年、顔を合わせることを避けていた息子たちと母親がそろった夜。ゲート通りでは歴史的な事件が起ころうとしていた。
血のつながらないいびつな家族の中に横たわる、ある事実とは。
【『hanaー1970、コザが燃えた日ー』公演概要】
公式サイトはこちら
<公演期間>
東京公演:2022年1月9日(日)~1月30日(日)
大阪公演:2022年2月5日(土)、6日(日)
宮城公演:2022年2月10日(木)、2月11日(金・祝)
<会場>
東京:東京芸術劇場プレイハウス
大阪:梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
宮城:多賀城市民会館
<公演時間>
未定
<料金>
東京:
S席:9,800円
サイドシート:7,000円
Yシート:2,000円(※20歳以下対象・当日引換券・
※サイドシートは、 シーンによって見えにくい箇所がございます。 予めご了承ください。
。
大阪:
11,000円
U-25チケット:5,000円(25歳以下対象・当日指定引換・税込)
宮城:
9,500円
U-25チケット:5,000円
※U-25チケットは観劇時25歳以下が対象。当日要身分証明書。
(全席指定・税込)
※未就学児入場不可。
※
※やむを得えない事情により、 出演者並びにスケジュールが変更になる可能性がございます。 予めご了承ください。
※公演中止の場合を除き、 払い戻し、 他公演へのお振替はいたしかねます。 ご了承のうえ、 お申込みください
<出演者>
ハルオ(祝ハルオ):松山ケンイチ
アキオ(祝アキオ):岡山天音
ジラース(宮良次郎):神尾佑
比嘉(比嘉高信):櫻井章喜
鈴木(鈴木大介):金子岳憲
ミケ(マイク・ミケルソン):玲央バルトナー
ナナコ(祝ナナコ):上原千果
おかあ(祝ユキコ):余貴美子
他
<STAFF>
作:畑澤聖悟
演出:栗山民也
美術:伊藤雅子
照明:服部 基
音楽:国広和毅
音響:井上正弘
衣裳:西原梨恵
ヘアメイク:鎌田直樹
映像:栗山聡之
方言指導:今 科子
歌唱指導:伊藤和美
三線指導:宮里英克
ドラマターグ:工藤千夏
演出助手:田中麻衣子
舞台監督:加藤 高
東京公演主催:ホリプロ
大阪公演主催:梅田芸術劇場
宮城公演主催:仙台放送
企画制作:ホリプロ