しあわせはこぶ旅 モッコが復興を歩む東北からTOKYOへ、そして世界へ Presented by ENEOS 終着の地、新宿で開催!
東京2020組織委員会(以下、組織委)は、東京2020大会公式文化プログラムである
東京 2020 NIPPON フェスティバルのうち、テーマ「東北復興」として実施する主催プログラム
「しあわせはこぶ旅 モッコが復興を歩む東北からTOKYOへ、そして世界へ Presented by ENEOS」
(以下、しあわせはこぶ旅)を、2021年7月17日(土)に東京都新宿区の新宿御苑 風景式庭園で開催しました。
2019年5月の東北三県でのワークショップよりはじまり、約2年弱に及んだプロジェクトの最後を飾った
新宿での当日の模様をお伝えします。
【当日の様子】
2019年4月に発表された「東北復興」をテーマとして実施する組織委の主催プログラムである
しあわせはこぶ旅。同月には福島県、宮城県にて子供達とのデザインワークショップが行われ、
クリエイティブディレクターの箭内道彦氏をトップに据え、脚本家の宮藤官九郎氏が命名、
ベースデザイン・世界観を絵本作家の荒井良二氏が描き、「モッコの物語」を
お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹氏が執筆。そして人形デザイン設計・人形製作・操演・総指揮を務める
世界的人形師の沢則行氏の指揮のもと、⻑野県下伊那郡高森町で100名を超える応募のあった
地元のボランティアと共に、2020年5月の岩手県陸前高田市での初演に向けて
プロジェクトが進行していた最中、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、
東京2020大会の開催一年延期が発表され、2020年4月には、東京 2020 NIPPON フェスティバル主催プログラムの
同年中の開催中止が発表されました。それから約1年、高森町で眠っていた巨大人形「もっこ」が、
沢さん等の手により再始動。2021年4月に高森町で行われた操演訓練や壮行会を経て、同年5月15日、
岩手県の高田松原津波復興祈念公園での開催を皮切りに、5月22日には宮城県の千年希望の丘相野釜公園、
そして5月29日には福島県の雲雀ヶ原祭場地と、東北被災3県を縦断したモッコは被災地の人々の様々な思いを手に
遂に7月17日にこのプロジェクトの終着地点となる、東京のど真ん中、新宿区の新宿御苑へとやってきました。
岩手会場では約600人を動員し、初演を成功させたしあわせはこぶ旅。しかし宮城県、福島県では、
新型コロナウイルス感染症の感染拡大状況を踏まえ、有観客での開催が見送りとなり、
フィナーレ会場である新宿も、6月21日(月)に公表した五者協議の共同ステートメントに加え、
7月12日より東京都に発出された緊急事態宣言に伴い、無観客での配信開催に。
結果、岩手県が唯一の有観客開催となりました。
関東圏の梅雨明けが発表され、雲一つない快晴に恵まれた新宿御苑。この日は午後より
風景式庭園が貸し切りとなり、緊急事態宣言下という事も相まって、土曜日の都心とは思えない
静けさが一体に広がる中ステージ開始前から本番に向けたリハーサルが入念に行われ、
総指揮を執る沢さんも、これが最後となるであろうパフォーマンスを前にモッコに想いをはせています。
各報道機関の代表カメラをはじめ、ペン記者や海外のメディアも多数参加。
関係者やスタッフを含めると会場内の総人数は数百人に上り、フィナーレに相応しい規模に。
また、会場内テントの中には、東北3県の方々を中心にしあわせはこぶ旅の公式サイトで募集した、
「東北復興への思い」が記されたパネルを展示。子供達から高齢の方まで、
被災者、非被災者問わず、思いが大きく籠ったメッセージが並んでいました。
17時30分、オープニングがスタート。
箭内道彦CDとフリーアナウンサーの平井理央さんがMCを務める中、箭内さんより「東北復興への思い」の
メッセージがこれまで巡って来た各地の映像共に読み上げられた後、東日本大震災で
犠牲となった人々へ追悼の意を表する1分間の黙祷が捧げられます。
黙祷終了後、主催者を代表し、橋本聖子組織委会長が挨拶。
橋本会長「東京2020大会の源流は東日本大震災からの復興への貢献です。震災で被災された方々が
復興する姿を世界に発信し、海外からのご支援に感謝を込める大会であります。
オリンピック・パラリンピックはスポーツの祭典であると同時に文化の祭典でもあります。
本日のプログラムでは、東北の文化と共に復興へと歩む被災地の姿を世界に発信し、
支援をして頂いた人々に感謝を伝えてまいります。残念ながら無観客中継のみの配信になりますが、
どうか皆様、見届けて頂きますようお願いします。」
続いて箭内さんの合図により、前半部分となる、「モッコとの出会いの物語」がパフォーマンスされます。
無観客開催となった今回は映像配信に力を入れており、8台のライブ配信カメラが使用され、
多視点ならではの臨場感のある映像が配信されました。
東北3県でのパフォーマンスが日中の時間帯であったのに対し、この新宿御苑でのパフォーマンスのみ、
夕方から夜の実施時間帯となり、西日から夕焼けに照らされるモッコと出演者達の表情が何時もと違って見えます。
東北開催時より更に表現幅を増した出演者達。ある種の力みを感じる様な、力の入り過ぎていた部分も
上手く直され、舞台演劇としてレベルアップをしています。そしてモッコの操演についても
より「らしく」動作が行われ、本当に一人の巨人の役者の様なパフォーマンスに海外メディアも驚きの表情を見せていました。
約25分間の「モッコとの出会いの物語」が終了すると、会場にてパフォーマンスを予定していた
東北を代表する6つの祭りが集結し構成される「東北絆まつり」の映像と
各団体からのメッセージビデオが場内ビジョンに流されます。
箭内さん曰く、本来ならば6つの団体がモッコの周りをぐちゃぐちゃに混ざりながら
パフォーマンスをして、今の世の中に必要な事を伝えたかったとの事でした。
そして足掛け3年に及んだ、しあわせはこぶ旅もいよいよクライマックスへ。
モッコが東北の各地より預かった、「東北復興への思い」のメッセージを
基に制作されたオリジナル楽曲「とうほくの幸」が終着の地である新宿御苑にて初披露されます。
ステージ上には「モッコの物語」の朗読を務め、2017年7月に発表された「東京五輪音頭-2020-」では
アーティストの一人として参加された歌手の石川さゆりさんとヒップホップグループ
「RHYMESTER」のメンバーでラッパーのMummy-Dさんが登壇。初めて実物のモッコを見た2人は、
石川さん「本当に私は東北からモッコが皆さんと心を繋いで東京までやってくるのを
「あぁ大丈夫かな…どうやってくるんだろうってドキドキしながら、箭内さんの「今、何処まで来ましたよ」という
LINEを時々頂いて。ですから、今日モッコに会えた時によく東京まで来たね!と大感激なんです。
皆さんがいっぱい力を注いで、心が繋がって血が注がれたんだなという、そんな気がします。」
Mummy-D「実際に今日初めてモッコを見たんだけど、やっぱりデカいよね。これだけの大きい物を
お客さんにも生で見て欲しかったというのはちょっと悔しい所ではあるけれども、
僕としてもこの数か月間はこのプロジェクトの為にずっと歌詞を書いて来たし、モッコの事を
ずっと映像で追いながらやってきたから、初めて見たという感じがしなくて、遂に来たかという感慨があります。」
と話し、箭内さんからMummy-Dが着用しているマントは今回の為に高森町より取り寄せた、
モッコのマントと同じ生地を使用し、皆の、Mummy-Dの、モッコの「M」の字が描かれています。
「モッコって、一番初めに図面に書かれて、それが形になって立ち上がっていく時に、
お人形っていうのは人が心を注いだり、皆の力が重なって足が一歩づつ動いたり、皆の繋がりが
モッコなんだなと、まさにそんな感じがしました。私はオリンピックが復興五輪と言われていた時から
プロジェクトが始まって、是非皆の心を一つにしてほしいです。」と話す石川さんは、
帰るの模様があしらわれた帯を着用。皆が故郷にちゃんと”かえれる様”に、それから皆の日常が
早く還る様にという意味を込めた着物を選んだとの事でした。
そして約35分間に及ぶ「モッコの物語」及び「とうほくの幸」が石川さん、Mummy-Dと共にパフォーマンスされます。
夕暮れ深まる中、台本を手に優しくも芯の有る声で東北3県で流された朗読音源とは異なる、
更に感情を乗せた抑揚の付け方で朗読をする石川さん。生朗読ならではの空気感が新宿御苑に流れます。
その傍ら、実物のモッコに並々ならぬ興味を示すMummy-D。出演者に混ざり、直接モッコに触って
質感を確かめたかと思うと、演者と共に演技をしたり、果敢にもモッコに相撲を挑んだり。
もはや只の巨大人形という視点でモッコを見ていないのは現場の誰の目にも明らかでした。
そして「そうださけぼう!」という朗読部分で石川さんの「うぉおお~!」という力強い声と共に立ち上がるモッコ。
総数728件の「東北復興への思い」のメッセージを全て自分の体の中に入れてラップを紡ぎだしたMummy-Dが
力強くラップを畳み掛ける中、モッコは会場を大きく反時計方向へ一周します。
震災から10年を迎えた東北の人達が今、感じている様々な思いが一つの歌になった「とうほくの幸」。
その歌詞は、岩手・宮城・福島の東北三県に住まう人達の姿と震災発生から10年を迎え、
まだまだ復興道半ばでありながらも、手を差し伸べてくれた人々への感謝の気持ち、そして前に進む歩を描いており、
夜の訪れと共に照明に照らされる中、大きな歩みを見せるモッコに色々な事を重ねてみて欲しいと箭内さん語りました。
遂には、石川さんが立ち位置を離れ、パフォーマンスエリア内で沢さん等が演じる河童と共に
「とうほくの幸」を熱唱。出演者と一緒にまぜこぜになりながら、モッコと一緒に歩みます。
そして全演者が声を揃え「ありがとうございました!」の声と共にパフォーマンスは幕を閉じました。
「とうほくの幸」を初生披露した2人にMCが感想を問うと、
石川さん「これからもっともっとモッコの旅が続くし、皆の心を繋いでいかなければいけない事が
いっぱい有るんだなと今日また新たに思いました。一緒に参加させて頂いて本当に嬉しかったです。」
Mummy-D「モッコが東北を周って来てから作詞をしなきゃいけなかったから、準備期間が一か月とかだったんで、
その一か月で東北の10年を背負うというのは自分にとって作詞をしていても、東北の人達のメッセージを
俺が纏めているだけで俺は潮来みたいなもんだけど。でも凄くしんどい作業もあったし、
書きながら涙が出たりとかね。一番この曲で東北の人達が言いたかったのは、まだまだこれから、
始まったばかりなんだという事。それだけでも日本や世界の人達に伝われば。」
石川さん「今の日本は東北だけではなくて、日本中が大変な問題をいっぱい抱えていて、
皆さんの心が本当に優しく、そして早く日常に戻れればなと心から思います。」
そして約1年の延期を経て、東北3県を周り、遂にここ新宿へ辿り着いた心境を問われた沢さんは
「役者達の気持ちを軽くする為に「新宿は暑いし、チャチャッとやって帰ろうぜ」って言ったんだけど、
入れ込んじゃって。転倒する者あり、僕も途中で気を失いそうになっちゃって。
石川さんとMummy-Dの声がパワフルでしたね。僕等を動かしてくれました。」と、会場を笑わせます。
そして箭内さんは
「話したい事沢山ありますけど、Mummy-Dが歌っていた「伝えて」という詞の通り、
知って欲しいです。まだまだ知らない東北が有るし、東北の今がもっと沢山の人に伝わる様に
皆で力を重ねていきたいなと思いますし、石川さんも仰った様に傷ついたのは東北だけじゃなく、
沢山の被災地が前を向こうとして歩こうとして頑張っています。東北に向ける皆さんの
温かい気持ちを、全国の、全世界の傷ついた人々に同じ様に向けて頂けたらなと。
そんなキッカケに今日がなったら良いなと思いました。」と話している所、
石川さんが「凄く綺麗なお月様。配信を見ている方もお天気の良い所は空を見上げて下さい。
今の時間、私達と同じ月が見えている。嬉しいですね。」と、夜空に浮かぶ半月を見つめていました。
そしてフィナーレにて、今プログラムの東京2020公式LINELIVEの視聴者数が102万人となった事が発表され、
約1時間30分強に及んだモッコの旅の終着点でのパフォーマンスは幕を閉じました。
【囲み取材の様子】
全てのパフォーマンス終了後、出席者の囲み取材が行われました。
Q:プログラムを終えた感想は?
Mummy-D「作詞に時間と自分の労力を凄く使って正直、大変な作業だったので、今日この日を迎えられて、
無事に何とかなりました。何とかまともなパフォーマンスが出来て、今、ホッとしているだけですね。
東北の皆さんのメッセージがしっかり歌に乗っかっていたら良いなと願うばかりです。」
石川さん「本当にモッコと会える事を楽しみにしておりました。一番最初にモッコのお話を伺った時に
大きなお人形が只、立っているのではなくて、大勢の皆さんの力で一歩ずつ前に進む東北の皆さんの思い、
そして、それを応援する皆の思い。それがモッコを東京まで運んだんだなと思います。
でも今、ここに辿り着いて、モッコが思い描いた東京だったのか、このコロナ禍収まらない毎日に
モッコもとっても複雑な気持ちだと思います。自然というのは、私の故郷熊本もそうですけど、
何処も今、日本中が大変です。自然の大きさを思い知らされながら、人間の傲慢も感じるこの頃だなと思います。
モッコはそんな事も感じながら、また皆の心を繋いでこれからも歩いて行くんだろうなと思います。
私もそんな小さな力に参加して応援する事が出来たとしたら嬉しいなと思います。」
箭内さん「2013年に大会の招致が決まって以来、何度も復興五輪って何だろう?復興五輪って
何処へ行っちゃったんだろうって、個人的には思う機会が多くあった中で、このプログラムが
沢山の人の力を合わせて東北の人達から預かった大切なメッセージをその思いのまま、
沢山の人に届ける事が出来たのは、こういう難しい状況の中ではありますが良かったなと思っております。
無観客にならなければこれだけ配信に力を入れる事は無かったと思うと、結果的には沢山の人に
届ける事が出来たなとそういう風に思います。コロナの事、オリンピックの事、様々に世の中が
目の前で分断されていくのを僕等毎日見ています。これをどうやったら繋ぎなおす事が出来るのかという
学び、宿題を貰った今年の夏だと強く思っています。モッコの動く姿、そして東北の人達のメッセージが
その入口、ヒントというかサンプルになれたら良いなと今日感じました。」
古宮正章組織委副事務総長「観客を残念ながら入れられない中で、メディアに来て頂き世界に配信出来たと思います。
直近の数字で102万を超える視聴を頂き、大変うれしく思います。」
沢さん「心の中では、最初に前説をさせて頂いた様に、皆さんのカメラの向こう側に東北のファミリー、
全国の皆さんが1,000人、10,000人居ると思って頑張りますって言ったんですけど、
まさか100万再生して、見てくれている方がいると思わなかったのでびっくりしました。
本当にありがとうございます。感謝の一言です。」
Q:大会の開催を望まない声もある中、この状況下でもオリンピックが東北の人達に出来る事とは何か?
Mummy-D「中々難しい質問で、ちょっと考えちゃう。人が努力してそれが結果として他の人々を元気にしていく。
そういう効果と言いますか、オリンピックに東北の人達の為になる力があるとしたら、感動とかそういう事になるかと思いますね。」
石川さん「私達のやっております、エンターテイメントというのは、何時もたかがと、されどの
行ったり来たりをしながらのものなのかなと思います。たかが、って言われそうな、
でもされど皆が元気になって頂ける何か力になればと思いながら私もずっと歌って参りました。
今回もこのモッコが「なんだ、人形じゃないか」と言われたら、たかが、されど皆が
大きな力を繋いで一歩ずつ前に進むという事をいっぱいメッセージ出来たとしたら嬉しいです。
今日は本当に大勢の方がここに集いながらモッコが東京に来た事を皆で祝いたかったです。
でも、こんな世の中です。でもこんな世の中も自然に負けないで、私達人間が力を合わせて
絶対にコロナに勝っていかなければならないと思います。時には傲慢である事も忘れて、
自然と寄り添いながら、皆で寄り添いながら、しっかりと考える事をしなければいけないんじゃないかなと
そんな事を最近よく思います。そしてまたエンターテイメントも皆さんに元気を与えられる様に
歌っていきたいって。そして思いっ切り楽しめる様なそんな日が早く戻る様に願っております。」
箭内さん「繰り返しになりますが、東北に出来る事というのは思いを伝える事であり、
今を知って貰う事であり、そのキッカケを今日の様に100万人以上の方に見て頂く中で、
作る事はまだまだ少ないとは思いますが、そんな事じゃないかなと思います。
復興五輪という言葉をうやむやにしない、大会開催を止められないのであれば、
復興五輪であったこの大会というものをちゃんと復興五輪に最後までする様に、
その要素の一つにこれがなればと考えました。」
Q:一年間の延期があった中でモチベーションはどうやって保ったのか?
沢さん「モチベーションはヤバいですよね。無観客は本当にやる気がなくなっちゃうんですよね。
なんですけど、箭内さんがブレない人で、東北復興五輪という企画で僕等始めたよね、というのが
ずっと僕等全員にあって、この2年間はずっと東北の方達に喜んでもらう、寛いで貰う、
東北のメッセージを届けるというのがブレないので、その事だけを考えてやってきました。
モッコをバラバラにして収納している間もスタッフは週に一回ずつ、シートを剥がし、メンテナンスし、
虫よけのバルサンを焚き、油を注し、錆を取り、そうやって一年間倉庫の管理をして来たメンバーです。
ここまで来れて感激も一入だと思います。皆一所懸命働いたので良かったんじゃないかと思います。」
Q:新宿御苑での公演が終わり、一つの区切りがついたが、改めて世界の人々へ向けたメッセージを。
箭内さん「やはり世界の方の中には東日本大震災をご存じない方もいるかもしれません。
知ってらっしゃる方も現在の東北に対する知識や理解がまだ届いていない方もいらっしゃると思います。
福島県には誰一人、人が住んでいないんじゃないかって思っている海外の人が居たり、
皆防護服を着て暮らしているんじゃないかという人が居たり。そんな中で東北の人達それぞれが
それぞれの思いをもって一歩一歩前に進んでいる。でもそれはまだ道半ばであるという事を世界の方々に
知って頂きたいと思いますし、何よりも東日本大震災に世界から頂いた暖かな支援とお気持ちに
東北出身の一人として心から感謝をしたいと思っております。」
長野県高森町から始まり東北3県を巡って東京へと辿り着いたモッコ。
大きな区切りはつきましたが、またこの巨大人形が動く日を待ちわびずにはいられません。
【プロジェクトストーリー】
2011年から10年後、2021年のTOKYOに東北から向かう「モッコ」。
ワークショップを通し、東北の子どもたちのイマジネーションとともに育まれたモッコ。
The Creation of TOHOKU. その大きな身長は、約10メートル。
陸前高田(岩手)、岩沼(宮城)、南相馬(福島)と、太平洋岸を進む旅の途中、モッコは様々な東北の文化と人を感じます。
TOKYOと東北を繋ぎ、そして、人と人の思いを、もう一度繋ぎ直しながら。
現在の東北を知り、やがて訪ねてみたいと思う人が増えるきっかけにもなりながら。
思い出を携えて、モッコはさらに歩き続けます。みんなを笑顔にするために。
たくさんのしあわせを運ぶために。バラバラな思いを、ひとつにするために。
【東京 2020 NIPPON フェスティバルとは】
東京2020組織委員会は、世界の注目が日本・東京に集まる2021年4月から9月までにかけて、
あらゆる境界を超えた連帯の象徴となるよう、公式文化プログラムとして東京 2020 NIPPON フェスティバルを実施します。
東京 2020 NIPPON フェスティバルは、スポーツと共にあらゆる境界を超えた連帯の象徴として
平和な社会の実現に貢献しつつ、日本が誇る文化を国内外に強く発信するとともに、共生社会の実現を目指して
多様な人々の参加や交流を生み出すこと、そして文化・芸術活動を通して多くの人々が東京2020大会へ
参加できる機会をつくり、大会に向けた期待感を高めることを目的としています。
東京 2020 NIPPON フェスティバル特設ページはこちら
【しあわせはこぶ旅 モッコが復興を歩む東北からTOKYOへ、そして世界へ Presented by ENEOS 公演概要】
しあわせはこぶ旅の公式サイトはこちら
<開催日時>
2021年7月17日(土)17:30開始
<会場>
新宿御苑 風景式庭園
<来場者数>
無観客実施(関係者のみ)
※配信視聴者数:約102万(プログラム終了時点)
<主な出席者>
橋本聖子:公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長
古宮正章:公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副事務総⻑
箭内道彦:総合演出・クリエイティブディレクター
沢則行:人形デザイン設計、人形製作操演・総指揮
石川さゆり:歌手
Mummy-D(RHYMESTER):ラッパー
<公演時間>
約1時間(途中休憩無し)※モッコの物語単独でのパフォーマンス時間
<出演者>
石川さゆり
Mummy-D
『操演者』
Noémie Gaildrat
縣梨恵
安藤大貴
井川ちなみ
大島清愛
岡本渉吾
桑原博之
小平普 (演出助手兼務)
後藤カツキ
古屋暖華
吉澤慎吾
沢則行
<STAFF>
クリエイティブディレクター・総合演出:箭内道彦
メディカルディレクター(新型コロナウイルス感染症対策): 忽那賢志
人形デザイン設計・人形製作操演 総指揮:沢則行
「モッコ」命名:宮藤官九郎
ベースデザイン・世界観:荒井良二
「モッコの物語」作者:又吉直樹(ピース)
「モッコの物語」朗読・「とうほくの幸」歌唱:石川さゆり
「とうほくの幸」歌唱:Tokyo Tanaka (MAN WITH A MISSION)
「とうほくの幸」ラップ:Mummy-D(ライムスター)
「とうほくの幸」編曲&プロデュース:亀田誠治
舞台監督+音響:田中誠治
演出+操演者:沢則行
音楽:oo39ドットコム(八幡浩暢)
演出助手:寺澤宏昭、坂本美帆
現場監督:岡本俊生
重機オペレーター:浅賀岳生、小野貴裕、廣瀬正幸
現場監督補佐:廣瀬芳徳
美術+技術:嶋﨑陽、大池ひとみ
衣装:アキヨ
カメラマン:後藤康介
プロダクションマネージャー:小泉直美
プロデューサー:湯川篤毅
協力:東京藝術大学(演奏・録音)
<実施体制>
主催:公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
共催:岩手県・宮城県・福島県・環境省
協力:陸前高田市/岩沼市/南相馬市/長野県下伊那郡高森町
後援:復興庁
©Tokyo 2020