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「しあわせはこぶ旅 モッコが復興を歩 む東北からTOKYOへ Presented by ENEOS in いわて」開催!

©Tokyo 2020

東京2020組織委員会(以下、組織委)は、東京2020大会公式文化プログラムである
東京 2020 NIPPON フェスティバルのうち、テーマ「東北復興」として実施する主催プログラム
「しあわせはこぶ旅 モッコが復興を歩む東北からTOKYOへ Presented by ENEOS(以下、しあわせはこぶ旅)」について、
岩手会場プログラムを2021年5月15日(土)に岩手県陸前高田市の高田松原津波復興祈念公園で開催しました。
当日の模様をお伝えします。

【当日の様子】

2019年5月に宮城県仙台市にて実物の1/10サイズの模型が発表され、また同年3月には
長野県下伊那郡高森町にて世界的な人形劇師・人形劇家である沢則行さんの指揮の下、
約100人のボランティアによる巨大人形「モッコ」の制作が開始され、2020年春に完成。
しかしその直後、新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い、東京2020大会が
1年間の延期になった事に伴い、モッコも1年間の休眠へ。そして2021年春、
目覚めたモッコは全国から集まった出演キャストやスタッフと共に4月8日(木)から稽古を開始し、
4月23日(金)の報道向け操演訓練公開、そして5月10日(月)の高森町での壮行会を経て、
遂に「しあわせはこぶ旅」の最初の開催地、岩手県陸前高田市へと到着。

国営追悼・祈念施設正面

岩手県南東部に位置するリアス式海岸が特徴の人口約1万8000人(2021年3月31日現在)の
三陸海岸の南の玄関口である陸前高田市は、2011年3月11日(金)に発生した
宮城県沖を震源とした東日本大震災により発生した最大高約12mの大津波により、
死者・行方不明者は合わせて約1,800人、市中心街のほぼ全域を含む市面積の13㎢が浸水、
流出家屋約1万棟という壊滅的な被害を受けました。

公園内の「海を望む場」から国営追悼・祈念施設方向を見る

震災遺構「奇跡の一本松」

達増拓也岩手県知事に先導され「海を望む場」で犠牲者を追悼する橋本聖子組織委会長

あの大震災から10年、壊滅状態の高田松原でたった1本だけ大津波に耐え抜き、陸前高田市、
ひいては東北全体の震災からの復興の象徴となった「奇跡の一本松」を筆頭に
東日本大震災の犠牲者への追悼・鎮魂、そして復興の象徴として
国営追悼・祈念施設として整備された高田松原津波復興祈念公園が「しあわせはこぶ旅」の最初のプログラム会場となりました。

新型コロナウイルス感染症接触アプリ「COCOA」のダウンロードが必須となる各会場

会場入り口では検温・手指の消毒がなされた上で、区画分けされた
それぞれの鑑賞エリアの色のリストバンドが渡されます。

会場スタッフが着るモッコの兜がデザインされたビブス

会場内には東北6県のPRブースや東北地方の旅を応援する東北レクリエーションエリアが出展。
また「しあわせはこぶ旅」のプレゼンティングパートナーであるENEOSがブースを繰り出し、
東京2020聖火リレートーチの展示や3D写真撮影等で来場者を楽しませています。

プログラム開始前の12時20分頃に突如、事前予告なく登場したのは3匹の河童…の姿をした
モッコの人形デザイン設計、人形製作操演・総指揮を務める人形劇師の沢則行さんとその演者たち。
陸前高田市を中心とした来場者を話術と動作で楽しませます。

時刻が午後1時になると開式の挨拶よりプログラムがスタート。

「しあわせはこぶ旅」の総合演出・クリエイティブディレクターを務める箭内道彦さんと、
岩手会場を代表し、岩手県立高田高校3年生の菅野新さんと同校の大友結衣さんがMCを務める中、
最初に東日本大震災で亡くなられた犠牲者の追悼として1分間の黙祷が行われます。

次にプログラム主催者である組織委を代表して、橋本聖子会長から挨拶が。
橋本会長「東京2020大会の源流は東日本大震災からの復興への貢献です。東日本大震災で
被災をされた方々が復興する姿を世界に発信し、海外からのご支援に感謝を込める大会であります。
オリンピック・パラリンピックはスポーツの祭典であると同時に文化の祭典でもあります。
組織委では東京2020大会に合わせて日本の素晴らしい文化を世界に発信して行く為、
東京2020NIPPONフェスティバルとして文化イベントを実施していきます。
震災の復興は道半ばであります。その一方で力強く歩む姿が同じ様な自然災害から立ち直ろうとしている
世界中の人々に勇気をお届けする事も出来ると思います。これから東北の人々の思いを携えたモッコが
”繋がり人形”となって、今日、高田松原津波復興祈念公園を出発し、岩手県・宮城県・福島県と繋いで、
東京へと向かいます。是非見届けて頂きたいと思います。」

そして開催地を代表し、達増拓也岩手県知事、戶羽太陸前高田市⻑の挨拶が。
達増知事「岩手・宮城・福島の子供達が生み出した大きなモッコが東日本大震災、その経験と
東北復興の現場を辿り、犠牲になった方への追悼、復興の希望、地元への愛情、
そして新型コロナウイルス流行収束とオリンピック・パラリンピック成功への期待など、
心からの祈りや願いのメッセージを携えて東京へ向かって旅する事を通じ、改めて日本の人々の心が
一つになり、日本の底力が引き出され日本が世界に対して人類の向かうべき道を示し、
その責任を果たす事を念じます。岩手県としましても復興オリンピック・パラリンピックを理念とする
東京2020大会への取組を通じて東北の為、日本の為、世界の為に役割を果たしてまいります。」

戶羽市長「東日本大震災から10年以上が経過し、この陸前高田市においても沢山の方が犠牲となられ、
今日現在でも200名を超える方が行方不明という事で大変残念に思っている訳でございます。
この被災地はまだ途中の状況にあり、復興をしきった訳ではありません。そういう事を含めて世界の皆さん、
日本中の皆さんに現状を分かって頂く事、これが一つの我々にとっての大きな目的であります。
東日本大震災で亡くなられた方の追悼・鎮魂の場であるこの地、この場所で今日、
復興五輪の公式文化イベントが開かれる事、これは非常に我々にとっては大きな意味があるのではないかと
考えている所でございます。現在は新型コロナウイルス感染症の拡大によって、日本中の世論が
色んな意見が飛び交っている訳でありますが、私としましては、何とか一日も早くこれを終息して頂いて、
安心安全なオリンピック・パラリンピックが開催出来る事をただただ願うばかりであります。」

登壇者挨拶に続いて、2人の河童がステージに登壇。モッコの誕生経緯や「しあわせはこぶ旅」の概要説明、
そして開催会場の来場者より募集した「東北復興への思い」メッセージを、7月の東京会場にて初披露する
オリジナル楽曲「とうほくの幸」への使用告知等を話します。

陸前高田市中心街で被災した米沢祐一さん(写真右)

次に陸前高田市の被災者を代表し、箭内さんが個人的な友人だという梱包資材を扱う米沢商会の米沢祐一さんが登壇。
地震発生時、市中心街の米沢商会ビルの傍にて仕事をされていた米沢さん。押し寄せる津波を見て
ビルの屋上にある煙突の上によじ登り、足元20㎝の高さまで迫る水面に耐えながら難を逃れたと話します。
津波に襲われた市内では数少ない、原形を留めて残った米沢商会ビルを震災遺構として残そうと決めた米沢さんは
「自分の命を救ってくれたビルであり、近所の方々が「周りは全部流されちゃったけど、米沢さんのビルを見ると
昔の陸前高田の街を思い出す事が出来るから残して欲しい」」という思いを理由として話されます。
そんな米沢さんからの「東北復興への思い」は「日本全国・全世界の助けて頂いた皆への感謝、
復興道半ばで頑張っている姿を陸前高田に見に来て欲しい」というメッセージでした。

そしていよいよモッコパフォーマンスの前半パートが繰り広げられます。初の本番公演という事もあり演者も緊張の様子。

言葉を殆ど使わない群像劇に見入る観覧者。演者が力を合わせてモッコが立ち上がるシーンでは、
会場が拍手に沸き、箭内さんたっての希望で演出として取り入れられた岩手さんさ踊りを
フィーチャーしたシーンでは、客席で踊りだす観覧者が続出。

モッコパフォーマンスを鑑賞する橋本会長

陸前高田の観覧者とモッコが心を通わせる瞬間が垣間見えた約20分間のモッコの出会いの物語のパフォーマンスが終了。

太陽光を浴び光るモッコの眼

箭内さんが沢さんを呼び、大友さんと菅野さんから直接モッコに対する質問がなされます。
大友さんが気になるのは青く輝くモッコの眼とモッコ製作で最も苦労した点との事で、
沢さんは「あんなに大きな目玉はあまり作らないので、一番苦労しました。
失敗して何万円かパァにしたりとか。眼も最初は緑色とか小洒落た色にする感じだったんですが、
箭内さんから福島の空、岩手の台地の色にしてくれというような事を言われて、
眼の上半分を青、下半分を茶色に染めました。」と話します。

厳しい表情で演者の動きを見守る沢さん

菅野さんは、劇を完成させていく上で演者と人形の動きを連動させていく部分で特に苦労した点は?が気になる様子で、
それに対する沢さんの答えは「演者メンバーの中にはモッコのフレームを作った
事業所の人間もいて、ステージや舞台上でも「今日バク転成功したらカレー奢るぞ」
なんて言いながら特訓みたいに練習を重ねている」というもの。

箭内さんを見つめるモッコ

そして箭内さんから、モッコは最初、現在よりも”イケメン”になる予定であったとの言葉が。
沢さんに東北にはイケメンではない人も結構居ると話した箭内さんは
東北の味わいのある顔をしてほしいと「”石坂浩二”ではなく、”西田敏行”にして欲しい」との注文を
沢さんにぶつけたそうで、縄文人から現代人までの頭蓋骨をもう一度スケッチし直しました、
と”東北顔”を意識したものとなったとの秘話が飛び出します。

続いて東北地域を代表する文化団体による「東北クリエーション」パフォーマンスがステージにて行われます。

陸前高田市より、岩手県立高田高等学校書道部6名による「誓祈」の書道パフォーマンス。

同じく陸前高田市の氷上共鳴会9名による氷上太鼓の演奏、

岩手県釜石市より錦町⻁舞10名による伝統芸能の虎舞のパフォーマンス。

そして青森県黒石市より、千葉勝弘社中12名の演奏が次々と行われます。

4団体のパフォーマンスが行われた後は、モッコパフォーマンスの後半パートがスタート。
「大団円」と名付けられたこのパートはモッコや演者のみならず、岩手会場に参加した4団体も巻き込み
ごちゃまぜになりながらフィナーレを迎え、次の宮城会場へと旅立っていくというのを実現したかったと
箭内さんは話しますが、昨今の状況を鑑み、感染拡大防止を優先した形をとったとしています。

お笑いコンビ「ピース」のボケ担当で小説家の又吉直樹さん書いた「モッコの物語」が
歌手の石川さゆりさんによって朗読された音源が会場に流れます。
「東京五輪音頭-2020-」の参加アーティストであり、演歌歌手として高名な石川さんが
抑揚を見事につけた、柔らかい声質ながらも時に芯の太さを強く感じる没入性の高い朗読に
会場は優しい空気感が漂います。

Photo by Tokyo 2020

そして最後にはモッコが演者と共に立ち上がりステージエリアを反時計方向へ大きく一周。
大きな歩みを見せながら進むモッコに観覧者から大きな拍手が送られます。
約25分間の大団円は拍手に包まれ、「しあわせはこぶ旅 モッコが復興を歩む東北からTOKYOへ in いわて」は幕を閉じました。

【囲み取材の様子】

全パフォーマンス終了後、ステージ横にて古宮副事務総長、箭内クリエイティブディレクター、
沢さんの3名が登壇しての囲み取材が行われました。

Q:岩手会場でのプログラムを終えての一言を。

古宮副事務総長「天候にも恵まれ、良いイベントになったと思います。
これが東京2020フェスティバルの皮切りになります。先ずはこういう形で
始められた事を嬉しく思います。今日はコロナ禍で観客の皆様をどういう風にお迎えしようかと
という事で色々工夫をしました。614名の皆さんにお越し頂けた事、大変嬉しく思います。」

Q:岩手会場での手応えと宮城・福島への意気込みは?

箭内さん「事前に長く温めていた企画は予定通りには全然出来ていない部分は多くありますが、
お客様やこの陸前高田という地の光と風と山並みの背景にモッコが一周している姿というのは本当に素晴らしいなと感じました。
一方で東北の皆様のメッセージを預かって東京に持っていくという使命がモッコにはありますが、
陸前高田の方から「形の復興は終わったかもしれないけど、心の復興はまだまだ出来ていないんです。」
というメッセージをモッコが預かっていて、その事自体を東北の現在として日本から世界に伝えるという役目と、
今日の一日が何か、心の復興にほんの少しでも寄与出来るのであれば嬉しいなと思いながらやっていました。
モッコの旅が続く中で岩手の思いが宮城に、宮城の思いが福島と重ねていく中で大きなメッセージになって
東京に持っていけるんじゃないかなって感じています。」

沢さん「ようやく1ステージ目なんです。僕は(チェコの)プラハに住んでヨーロッパを中心に上演をしていますけど、
一本の芝居を仕込んだら50回はやります。それで漸く芝居になるというんですけど、今回は兎に角、
大がかりなので、そう何回も繰り返しは出来ないんですよ。だから一回一回に役者が全力を尽くせる様に
環境を整えるというのが僕の役目だったので、ようやくお客様が笑って、さんさ踊りを踊ったら
手拍子をしてくれたお客さんが居たのでとても嬉しかった。役者も喜んでいます。
コロナについては、僕は専門家ではないんですけど、何か指針を与えないと役者も人形作りチームも動かないので、
「工夫して用心してやれるだけの事をやって作って演じよう」という事、メルクマール(指標)を彼らに伝えました。」

Q:東京2020大会の開催についての是非が問われている昨今、率直な意見は?

箭内さん「ここで言って良いのかは分かりませんけども、本当に皆が安心出来て
安全だという風に納得出来ないのであれば、そう簡単に出来るものではないんじゃないかなと
感じてはおります。ただずっとコロナによる分断が続いて来た中で、
賛成なのか、反対なのかという所で余計、この世の中に溝が増えているのはどうしたものかと、
どうしたらそれを一つに出来るのだろうという事は、僕が開催や中止を決められる立場では
ないので非常に難しいんですけど、そこはモッコと一緒に悩んでいる所です。」

Q:コロナ禍でモッコをどう世界に発信していきたいのか?

箭内さん「このイベントを東北で行う際、東京から移動していくスタッフも沢山いる中で、
本当にやって良いのだろうかという議論を重ねましたし、その議論というのは、スタッフの中でやっていても
キリが無いんですよね。不安で仕方ないという者もいますし、気持ちが高まってやるべきだという人もいますし。
そこでこの東北復興プログラムではきちんと客観的な判断をしてくれる人物を起用すべきだと僕は強く言って
組織委の中のメディカルチームとは別にこのプログラムを客観的に見てくれる医療の先生に指導を受けました。
それがメディカルディレクター(新型コロナウイルス感染症対策)の 忽那賢志さんです。
忽那さんと密に連携をしながら今日を迎えました。後、東北3県の会場とも県と市が共催をしていますので、
岩手に関しては県と陸前高田市が是非、来て下さいと言って頂きまして、僕達も万全の対策でこちらに来ました。

世界への発信方法は簡単に言うと映像を只今製作しています。
海の方向からドローンで撮影し、海の向こうにこの公園があって、その中にポツンとモッコが居て
岩手の人達が囲んでいるという絵から始まるんですが、皆さんのメッセージを歌にしたものを
映像に乗せてしっかりと作っている最中です。」

Q:東京2020大会は「復興五輪」をテーマに掲げているが、
国民は「復興五輪」「コロナ五輪」のどちらと捉えるのか?

古宮さん「東京2020大会は復興五輪として始めています。その時にはコロナという物は無かったんですね。
当時、日本が震災によって分断、ある意味で絆が切れかかるような状態だったのを何とか
オリンピックの場で少しでも皆が元気になって一つに纏まろうというのが
復興五輪というもので、それは今も変わっていません。そこにコロナが加わってしまったという事で、
それを合わせて今の段階では東京2020大会をやる事によって、何とか一つに纏まっていこうと。
実際今、国の間で移動が出来ない状況になっている訳ですから、
東京2020大会としてはやる以上はそういう事を肝において進めていきたいと思っています。」

箭内さん「かといって、復興五輪の分量が萎んでしまっては嘘つきになると僕は思っています。
ですので、復興五輪の他にテーマを持っても構わないと思うけど、復興五輪と言って招致をしたものは、
ちゃんと成し遂げて欲しいなと。このプログラムもそうありたい事の一つです。
復興五輪とは「復興した姿を見て下さい五輪」ではなく、「復興はまだまだ道半ばなんです五輪」という風に
ちゃんと皆が捉えてくれる事が大事だなと。それを伝えるプログラムでありたいなと思っています。」

Q:これまで高森町の風を感じながら練習をされてきたが、
南三陸の海風を受けて行われた本番、山風と海風の違いをどう感じたか?

沢さん「想定はしていたんですけど、山風ではなく海風なので湿っているんですよ。
昨日、シートで包んで帰って、それから一晩経って朝、ブルーシートを剥がそうと思ったら
海辺の砂がいっぱい積もっているという。あ~、これは面白いねというのと、
湿ったロープがちょっと重いんですね。役者が「重いよ~っ」って。
当たり前だろ!旅してんだから。一所懸命引け!って言ったんですけど、
会場毎に条件が少しずつ違うのが面白いと思います。」

600人を超える岩手の観客に見守られながらモッコは次なる地、宮城県岩沼市の
千年希望の丘相野釜公園へ向けて東北縦断の旅の一歩を踏み出します。

【プロジェクトストーリー】

2011年から10年後、2021年のTOKYOに東北から向かう「モッコ」。
ワークショップを通し、東北の子どもたちのイマジネーションとともに育まれたモッコ。
The Creation of TOHOKU. その大きな身長は、約10メートル。
陸前高田(岩手)、岩沼(宮城)、南相馬(福島)と、太平洋岸を進む旅の途中、モッコは様々な東北の文化と人を感じます。
TOKYOと東北を繋ぎ、そして、人と人の思いを、もう一度繋ぎ直しながら。
現在の東北を知り、やがて訪ねてみたいと思う人が増えるきっかけにもなりながら。
思い出を携えて、モッコはさらに歩き続けます。みんなを笑顔にするために。
たくさんのしあわせを運ぶために。バラバラな思いを、ひとつにするために。

【東京 2020 NIPPON フェスティバルとは】
東京2020組織委員会は、世界の注目が日本・東京に集まる2021年4月から9月までにかけて、
あらゆる境界を超えた連帯の象徴となるよう、公式文化プログラムとして東京 2020 NIPPON フェスティバルを実施します。
東京 2020 NIPPON フェスティバルは、スポーツと共にあらゆる境界を超えた連帯の象徴として
平和な社会の実現に貢献しつつ、日本が誇る文化を国内外に強く発信するとともに、共生社会の実現を目指して
多様な人々の参加や交流を生み出すこと、そして文化・芸術活動を通して多くの人々が東京2020大会へ
参加できる機会をつくり、大会に向けた期待感を高めることを目的としています。

東京 2020 NIPPON フェスティバル特設ページはこちら

【「しあわせはこぶ旅 モッコが復興を歩 む東北からTOKYOへ Presented by ENEOS in いわて」開催概要】

しあわせはこぶ旅 モッコが復興を歩 む東北からTOKYOへの公式サイトはこちら

<開催日時>
2021年5月15日(土)13:00開始

<会場>
高田松原津波復興祈念公園

<来場者数>
614人

<主な出席者>
橋本聖子:公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長
古宮正章:公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副事務総⻑
達増拓也:岩手県知事
戶羽太:陸前高田市⻑
箭内道彦:総合演出・クリエイティブディレクター
沢則行:人形デザイン設計、人形製作操演・総指揮
菅野新:岩手県立高田高校3年生生徒会執行部議長
大友結衣:岩手県立高田高校3年生生徒会執行部会計長

<東北クリエーション>
岩手県立高田高等学校書道部(陸前高田市)
氷上共鳴会氷上太鼓演奏(陸前高田市)
錦町⻁舞(岩手県釜石市)
千葉勝弘社中(青森県黒石市)

<実施体制>
主催:公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
共催:岩手県
協力:岩手県陸前高田市/⻑野県下伊那郡高森町

【「しあわせはこぶ旅 モッコが復興を歩む東北からTOKYOへ Presented by ENEOS」概要】

「しあわせはこぶ旅 モッコが復興を歩む東北からTOKYOへ Presented by ENEOS」の公式サイトはこちら

<日時>
岩手会場:2021年5月15日(土)12:00開場13:00開演
宮城会場:2021年5月22日(土)
福島会場:2021年5月29日(土)11:00開場12:00開演
東京会場:2021年7月17日(土)15:30開場17:00開演
※時間は全て予定

<会場>
岩手:高田松原津波復興祈念公園
宮城:千年希望の丘相野釜公園
福島:雲雀ヶ原祭場地
東京:新宿御苑風景式庭園

<公演時間>
約1時間(途中休憩無し)※モッコの物語単独でのパフォーマンス時間

<東北会場プログラム来場者募集>
『申込方法』
本プログラムは新型コロナウイルス感染症対策を踏まえ、事前申込による招待制(入場無料)となります。
以下のWEB ページの「参加申し込みはこちらから」からのみ、申込可能です。
福島会場WEBページURL:
https://tokyo2020.org/ja/events/nippon-festival/details/tohoku-mocco-fukushima

※5月22日(土)に開催を予定していた宮城会場プログラムについては、宮城県内の
新型コロナウイルス感染症の感染状況等を踏まえ、県とも協議の結果、
有観客での開催を見送ると発表。現在、プログラム内容の見直し調整中。決定次第改めて案内がなされるとの事。

『申込〆切』
福島会場:2021年5月15日(土)
※東京会場は5月中旬に受付開始

<出演者>
『操演者』
Noémie Gaildrat
縣梨恵
安藤大貴
井川ちなみ
大島清愛
岡本渉吾
桑原博之
小平普 (演出助手兼務)
後藤カツキ
古屋暖華
吉澤慎吾

岩手・宮城・福島:箭内道彦、他
東京:箭内道彦、石川さゆり(歌手)、Mummy-D(ラッパー)、他

<STAFF>
クリエイティブディレクター・総合演出:箭内道彦
メディカルディレクター(新型コロナウイルス感染症対策): 忽那賢志
人形デザイン設計・人形製作操演 総指揮:沢則行
「モッコ」命名:宮藤官九郎
ベースデザイン・世界観:荒井良二
「モッコの物語」作者:又吉直樹(ピース)
「モッコの物語」朗読・「とうほくの幸」歌唱:石川さゆり
「とうほくの幸」歌唱:Tokyo Tanaka (MAN WITH A MISSION)
「とうほくの幸」ラップ:Mummy-D(ライムスター)
「とうほくの幸」編曲&プロデュース:亀田誠治
舞台監督+音響:田中誠治
演出+操演者:沢則行
音楽:oo39ドットコム(八幡浩暢)
演出助手:寺澤宏昭、坂本美帆
現場監督:岡本俊生
重機オペレーター:浅賀岳生、小野貴裕、廣瀬正幸
現場監督補佐:廣瀬芳徳
美術+技術:嶋﨑陽、大池ひとみ
衣装:アキヨ
カメラマン:後藤康介
プロダクションマネージャー:小泉直美
プロデューサー:湯川篤毅
協力:東京藝術大学(演奏・録音)

<実施体制>
主催:公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
共催:岩手県・宮城県・福島県・環境省
岩手会場協力:陸前高田市
宮城会場協力:岩沼市
福島会場協力:南相馬市
協力:長野県下伊那郡高森町
後援:復興庁

©Tokyo 2020

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