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ミュージカル『ラ・マンチャの男』制作発表記者会見開催!

 

写真提供/東宝演劇部

『ラ・マンチャの男』は、スペインの作家、ミゲル・デ・セルバンデスの小説「ドン・キホーテ」を原作としたミュージカルで1965年にブロードウェイで初演。翌年のトニー賞ではミュージカル作品賞を含む計5部門を受賞。
日本では1969年、当時の六代目市川染五郎が主演し、翌70年にはブロードウェイからの招待を受けて、マーチンベック劇場にて全編英語で現地の役者と渡り合い、計60ステージに立ちました。

初ミュージカル主演舞台『王様と私』(1965年4月)以来、二代目松本白鸚は50余年に渡り日本のミュージカル界を牽引。帝劇公演中の8月19日に日本公演での通算上演1,200回を達成。 脚本を手掛けた故デール・ワッサーマン夫人より、同氏が受けたトニー賞のトロフィーを記念に贈られました。今回の『ラ・マンチャの男』では、白鸚演じるドン・キホーテが想い姫と慕うアルドンサ役に、2009年に宝塚歌劇団を退団後、数々の大作ミュージカルに出演、2012年には「第37回 菊田一夫演劇賞」「第3回 岩谷時子・奨励賞」を受賞した瀬奈じゅんがこの舞台に挑みます。

1969年の初演から実に半世紀、10月からの22回目の公演開幕に先駆け、2019年6月13日(木)、東京都千代田区の帝国ホテル東京「孔雀の間」にて制作発表記者会見が行われました。

【会見の様子】

制作発表には多数の報道媒体、関係者と共に200名の抽選で当選した一般観覧者も来場し、「孔雀の間」は冷房が入る程の熱気に。

登壇したのは、セルバンテス/ドン・キホーテ役の二代目松本白鸚さん、アルドンザ役の瀬奈じゅんさん、サンチョ役の駒田一さん、アントニア役の松原凜子さん、カラスコ役の宮川浩さん、牢名主役の上條恒彦さん、そして東宝株式会社取締役演劇担当の池田篤郎さんの7名。

先ずは各登壇者からの挨拶。

池田取締役「本日は多数の御来場頂き、有難うございます。この度の公演で日本初演から50周年という大変記念すべき公演となりました。50年お客様に愛され続ける、その事だけでも大変貴重な事でございますけれども、この作品で最も特別な事は、これまで1265回にわたる公演を松本白鸚さん、お一人で主演を務めて続けてこられた偉業にあると思います。1965年にブロードウェイで『ラ・マンチャの男』は開幕し、その翌年のトニー賞で作品賞を含め、5部門の賞に輝いたミュージカル界の金字塔で大変な名作でございます。その後、白鸚さんの御父上である初代松本白鸚さんと私共、東宝演劇の中興の祖であります、菊田一夫との大変深いご縁によりまして、この初演に結びつきました。1969年帝国劇場で初演が果されまして、その翌年、この初演の成果が海外でも大変な評価を得まして、ミュージカルの聖地であるブロードウェイの招きにより、マーチンベック劇場で現地キャストと共に主演を果たすという、大変な偉業を成し遂げています。御自身も市川染五郎、松本幸四郎、そして襲名なさった松本白鸚と、この大名関を引き継がれ、
これまでの半世紀、主演を演じ続けてこられました。日本の伝統芸能である歌舞伎の世界でも、その中心から率いていらっしゃるのは皆さんご承知の通りですが、それ以外にも映像の世界、ストレートプレイ、ミュージカルと、ジャンルを問わず、活躍が続いております。そして今年8月のお誕生日をもって愛でたく喜寿を迎えられ、この度の公演で1300回上演超を目指す、益々充実した舞台になってまいります。そしてこの度はアルドンザ役に瀬奈じゅんさん、アントニア役に松原凜子さんと新しいキャストをお迎えして、これまで支えて下さった上条恒彦さん、駒田一さん、宮川浩さんを始め、素晴らしいキャストの皆さんと共に、またこの感動を各地の皆様にお届けしたいと思っております。」

松本さん「初演以来、50年の「ラ・マンチャ」の灯火が点りまして、今日の日を迎えられる事が自分にとっては奇跡に近こうございます。本当に胸が一杯でございます。と、言いましてもそれは思い出でございまして、東宝さん側が声を掛けて下さった事に、俳優というのは、有難う御座いました・お疲れ様でした・おはようございます、というのは礼儀でございまして、俳優の本当の感謝の御礼の気持ちは、その声を上げて下さった方々に演技で、芸でお返しするのが役者としての礼儀、御礼じゃないかと思っております。今までは思い出もいっぱいございますから、これからは帝劇で、名古屋を始め色々な箇所で皆様の前で幕を開ける「ラ・マンチャ」でございます。もう、真新しい「ラ・マンチャ」でございます。何しろ主演の俳優の”名前”が変わりました。本当に私はまっさらな気持ちで、何時も何時も勇気付けられて来た「見果てぬ夢」という歌を、悲しみを何とか希望に、苦しみを勇気に変えて。菊田一夫先生と私の父、初代白鸚との出会いがこの「ラ・マンチャ」の上演のキッカケとなりました。私は昨年度、松竹で高麗屋三代襲名をさせて頂きまして、私は「ラ・マンチャ」は菊池先生を始め、東宝の皆様方に対する襲名だと思っております。真新しい気持ちで挑みます。どうぞ皆様、お誘い合わせの上、劇場に足をお運び下さいますよう、お願い申し上げます。」

瀬奈さん「私は前回、帝国劇場で「ラ・マンチャ」を観劇致しました。その時は本当に只々、一人の観客として客席に座っていたんですけども、心は舞台上にいる囚人の皆様と同じ気持ちで観劇して、そして終演後には余りの感動に涙が止まらず、心が震え立ち上がれないという感動を体験いたしました。あの時には全くこの舞台に立てるという、想像もつかなかった事が起こっていて、とても幸せな気持ちとやらねば!という意気込みと両方が入り混じった複雑な気持ちなんですけれども、兎に角、あの時私が客席で感じた感動を皆様にお届け出来ます様に、沢山の事を感じて心を震わせ、魂を込めてアルドンザ役を演じたいと思っております。」

駒田さん「私、95年からこの作品に係わらせて頂いて、ラバ追いから床屋、そしてこのサンチョ・パンザは10年目という事ですが、まあ、旦那様(松本白鸚)の下で10年とは、本当にこんなもん(片手で1cm位のサイコロを持つような仕草)なんでございますが、今回このお話を頂いた時からですね、他の作品をやっていても、頭の片隅に心の片隅に「ラ・マンチャ」が残っている部分がずっとありまして、今回は如何したものか、どの様にすれば良いのか、どうやって苦しみを楽しみにするか、色んな事を常日頃考えております。一つ、僕が良かったなと思うのが、昔から幸四郎さんと呼ばずに「旦那様」と呼んでいたので、名前が変わられても今後とも、旦那様という事で通させて頂ければと思っております。今後ともよろしくお願いします。」

松原さん「私も前回、観劇させて頂いた時は学生で、まだミュージカルの舞台に立った事の無い頃でした。その時に夢を追いかけたいけれども、叶う筈が無いんじゃないかとか、凄く迷っていた時期にこの作品を観劇させて頂いて。胸がいっぱいになってしまう作品なんですけど、中でも好きな台詞が「在るべき姿の為に戦わない事は本当に愚かしい」という台詞があるんですけども、もしかしたら、成れるかも知れない自分の姿の為に私も戦って行こうと思わせて頂けました。他にも沢山の素晴らしい言葉や想いが詰まった作品だと思うので、この作品のお稽古や本番を通して、私も言葉に支えられながら、刺激を受けながら成長して参りたいなと思っております。」

宮川さん「前回、初めて参加させて頂いて、見えない中で必死にもがき苦しんでいたというイメージが凄く有ります。4年経って、漸くカラスコから成長したのか、木原さんの心情がどれだけ読み取れる様になったのか、自分でも楽しみにしております。この舞台にもう一度立たせて頂いて、本当に皆様に感謝しています。ありがとうございます。そしてもう一つ。幸四郎さんから白鸚さんになられた事で、イニシャルが「H・M」になって、僕と同じになりました。ありがとうございます。楽しんでいきますので宜しくお願いします。」

上条さん「高麗屋さんより二つ年上なんです。二年も加齢を重ねてしかし、僕が高麗屋さんをずっと先輩だと思い続けている訳です。しかし、年をとったのは確実でありまして、出演者中最高齢。アクセルとブレーキを”踏み間違えないよう”に頑張ります。」

ここからは質疑応答。

松本さんへ。「ラ・マンチャの男」以外にも多数の東宝ミュージカルに出演しているが、1965年に「王様と私」で初ミュージカル出演の時に菊田一夫先生からどんな言葉をかけられ、どの様に自身は受け止め出演を決めましたか。

撮影:篠山紀信 写真提供/東宝演劇部

松本さん「私が「王様と私」の王様役で初めて出たのは22歳の時でございまして、当時は歌舞伎から22歳の若者がミュージカルに出演するなんて皆無でした。日本でのミュージカル公演も年に1・2本で、浅利慶太さんもまだミュージカルをやってらっしゃらない頃でもう50年以上前ですね。その時に菊田先生が僕に言った言葉は「染五郎君、続けようよ。日本にミュージカルが根付くまで続けてくれよ。」と仰った。気持ちが伝わって参りました。それから…随分無謀な考えですよね。歌舞伎やってミュージカルやるなんてね。「先生…」って喉元まで出かかったんですけどね、若かったんですね。「やります!」って言っちゃった。ただ同じ日に、昔の芸術座、舞台事務所だったと思いますけど、ブロードウェイの話が来た時に菊田先生が丁度「風と共に去りぬ」をミュージカル化、「スカーレット」って言うんですけど、それでブロードウェイに乗り込もうとした矢先、私にブロードウェイの出演の話が来たので、「先生、今ブロードウェイから話が来ました。」と、言った時に「お・め・で・と・う」って言ってね。握手をなさった先生の眼が嫉妬と悔しさと…。本当に一緒にやろうよ、ミュージカルを根付くまで続けようと言った先生が「おめでとう」と凄く寂れた様な顔をしてね、言いました。でも親父が東宝へ伺った事、それから菊田先生と出会えた事が「ラ・マンチャ」の実現に通じているわけですから、「見果てぬ夢」を歌う時は何時も”二人の男に対する鎮魂歌”だと思っております。」

松本さんへ。50年間演じてこれた原動力はなんでしょうか。率直なお気持ちもお願いします。

松本さん「これはもう、東宝さんと私ら歌舞伎俳優の白鸚、東宝さんに「ラ・マンチャ」の出演を承諾して下さった松竹さんこの二つの演劇会社の演劇人としての良心が私を実現させてくれていると思っております。大きな声では言えませんが、私が歌舞伎の「勧進帳」を全国47都道府県、1000回以上やっておりますので、そういう意味では本当に幸せだと思い、それが出来た私は、「平和だったから」だと思います。上皇陛下、上皇后様もご退位なさりましたけどもその30年間は平和だったから「ラ・マンチャ」をずっと続けて来られたんじゃないかなと思います。二つ目のご質問は、今ここに50周年を喜寿で演じる事が出来て、よっぽど50年を同じ役やってりゃ他にやる事が余程無かったんじゃないかと、お思いでしょうけども、私が歌舞伎俳優としてもやっておりましたんで、それ程、やる事が無いと言う程でもなかったんですけども、私にはやる事が無かったとは申しませんけども、「やれなかった」んです。他の何の仕事も出来なかったんです。ですので、それが考えてみれば今日のこの夢のような事に繋がったんじゃないかと私は思っています。」

「ラ・マンチャの男」が50年間愛されて続けてきた理由とはなんでしょうか。

上条さん「まあ端的に言って良い作品だという事ですよね。時代を超越したテーマを持っている。つまりどんな風な事を役者が言っているかとかですね、具体的な事じゃなくて、作品が持っている風格というか、美意識というか内容が何時も伝わるからじゃないかなと思います。」

松原さん「難しい作品だと皆様も思われていると思うんですけど、自分がそうだったんですけど、最後には難しいと思った方でも勇気を貰ったり明日から頑張ろうっていう、そういう単純な気持ちかもしれませんけど、やっぱり、活力を頂けるという所かなと思います。私が本当に勇気を頂いたので、そう思っております。」

宮川さん「どうして50年続いたのか、僕にはちょっと分かりません。分かりませんがこの作品、凄いんです。観てもやっても。なので、50年続いたんだと思います。作品も凄いし、50年間、一人でやられて来られた白鸚さんも凄いです。本当に凄いなぁ…と思う作品なんです。だから続いてきたんだと思っています。」

駒田さん「やはり、脚本の魅力、楽曲の魅力、そして旦那様の魅力、一つの台詞を舞台を観たお客様が夫々に投影したり、感じられたりという事が凄く深い物に成るんじゃないかなという、やっぱり作品の素晴らしさだと僕は思っております。宮川さんが仰る様にやる側もそれを感じながらやっているので、これだけ人気が有るんだなと僕は思っております。」

瀬奈さん「私が客席で拝見させて頂いた時にも感じた事なんですけども、その時の感情や、体調や状況によって、感じ方が変わってきたりとか、何回観ても新しい発見がある作品なんだなという事は凄く感じました。そしてそれに加えて白鸚さんが毎回毎回、新しい発見をされようと、英語の翻訳を御覧になられて、「これは本当にこういう意味なんだろうか?」と、改めてブラッシュアップして、新しい発見をされているという事にこの間、お話させて頂いてそれを凄く感じましたし、だからこそ50年続き、50年愛されて来たんだなと私は感じています。」

写真提供/東宝演劇部

松本さん「色々御座いますですけど、今思い出しましたが、ブロードウェイ公演の千秋楽の日だったかな?一番前で御覧になっていたアメリカの初老のご婦人が「To Dream The Impossible Dream…」と最後死にながらドン・キホーテになって行くシーンを御覧になったお客様がハンドバックから白いハンカチを取り出して目頭を拭われたんですね。私の演技を観て拭って下さった、そしたらその方の白いハンカチが胸元でボォッ~と白い光の玉の様に輝いて、もう汗と涙と想いとで、全部その玉の中へ吸い込まれていってしまった経験がブロードウェイでは有ります。その後、猪熊弦一郎さんという画家が初日も観て下さって、千秋楽を御覧になって自分の画風が具象から初めて抽象に移る最後のドン・キホーテとサンチョだよ、と、抽象画の絵を渡して下さって、「初日に染五郎君はブロードウェイの俳優からいっぱい光を当てて貰っていたね。それで頑張っていたね。でも、千秋楽の君は、君が光となってブロードウェイの俳優さんに光を与えていたよ。」って、仰って下さったんです。もうそれはいっぱい思い出は有りますけども、私もポスターに「夢とは夢を叶えようとする心意気だ」と。この芝居は「事実というのは、真実の何時の時代も敵だ。」。さっき、松原さんが仰った様に「本当の狂気とは、あるがままの人生に折り合いをつけてあるべき姿の為に戦わない事だ」、私共は普段、気恥かしくて口に出来ない様な言葉をズケズケとこのミュージカルはやってくれるんですね。それだけにドン・キホーテ/セルバンテスをやる役者は、そういう生き方・心を持った役者が務めるべきだと、無い脳みそを絞って考えたんですね。で、考えてやり続けていたら、今日何時の間にか77歳で50年経ってしまったと。初演を御覧になった方とまだ御生まれになっていない方が御一緒になってこういう場を設けて下さった事はもう私にとっては人間としても俳優としても白鸚としては本当にあり難い事です。本当に自分は俳優をやっていて、良かったなと思います。それは「思い出」で御座います。帝劇での幕開け、前の月には名古屋を始め、皆様に伺いますけどもその「ラ・マンチャ」がより素晴らしい物になっていないと、今日ここでお話をした甲斐も御座いません。是非皆さんと御一緒に力を合わせて素晴らしい「ラ・マンチャ」をお目にかけたいと思います。」

2002年から松本さんが演出も手掛けているが、演出家としての松本さんの印象は。

駒田さん「演出をされる以前の公演から僕は参加させて頂いて、その時も旦那様は色んなアドバイスを頂いたり、色んな事を教えて頂いたんですが、演出家としては本当に「俯瞰で見る」というか、キッチリ全体を見るんですね。個人的な事では無く、何故こういう風に動くのか、どうしてこういう場所にこういう風に居なければならないのかという、全ての事を把握しながら考えながらやって頂いていて、そのやっている姿も、ドン・キホーテの姿、セルバンデスの姿を見るのとは、またもう一つ、演出家としての旦那様を見るのが僕の楽しみで御座います、という位、色んな事を考えながら生意気を言わせて貰うと凄いなと思います。」

宮川さん「前回初めて参加させて頂いたんですけども、初めての演出で全てを見透かさせている感じで、嘘はつけないなと。他の演出家の方に分からないのに「はい分かりました」と言った事は無いつもりですけども、白鸚さんに対しては絶対分からないと「はい分かりました次、そうやります」とは言えない感じの良い緊張感を持てて、そう言われた次の瞬間に目の前で主役の白鸚さんと芝居をやらなきゃいけない「怖さ」を有りました。また、この怖さを今回味わえると思ったら、ワクワクドキドキしております。」

上条さん「稽古場が凄く素敵なんですよ。どんな演出家の稽古場でもそう有らねば成らないんですけども、高麗屋さんの稽古場は本当に役者が集中してボッ~として居眠りしている人は誰も居ないんですね。とてもその事だけで十分素敵なんです。今回もそうやって良い稽古をして御覧にいれたいと思います。」

50周年の節目の年に出演が決まった時の心境とオーディションの類はあったのでしょうか。

松原さん「50周年記念公演に出演させて頂ける事については、本当に皆さんのお話を聞きながら、私も思いを馳せながら、50年って、本当に想像を絶する年月なんじゃないかなと思って、その中に本当に皆さんで苦しんだり、喜びを分かち合ったりして来られたと思うんですけども、その一部に私も成れるというのが本当に嬉しいなと思っています。なので、稽古の時間を一瞬たりとも無駄にしないで大切に過ごして行きたいなという風に思っています。役に決まった時は信じられない思いだったんですけども、オーディションはありました。私、アントニアの曲を歌わせて頂いたんですけども、台詞のオーディションもあるのかな?と思って準備をしていたんですけども、実は台詞は無かったんですよね。それで一度、声出し程度で良いから一度歌ってみて下さいと白鸚さんの前で歌わせて頂く機会が一度有りまして、その声出し程度で歌った一回で終わってしまったんですね。その時本当に驚いたのは歌い終わった時に「ブラボー!」と、言って下さったんです。本当に驚いてしまって「ありがとうございます!」という感じだったんですけども、「もう結構です」という風に言われてしまって、「これでは印象が残らないんじゃないか」とか、色々不安だったんですけども、「最後に質問がありまして」と、少しだけ喰い付かせて頂いたというか、そんな事があって。アントニアは台詞の指示の中に「自分の事しか考えていないそんな女性なんです」と言われてから、じゃあ、それを演じます。となるんですけども、練習をしていると「果たして本当に自分の事しか考えていないのかな?本当は叔父様の事を思っているのかな?」とか、複雑な思いが有るのではないかと思って、その辺りはそういう指示が有りますけど、どういう気持ちなんでしょうか?という事を質問させて頂いて、「本当に複雑な難しい役なんですよ」と言っていただいて、「分かりました勉強します」とお別れをして、ずっとお返事を待っていたんですね。それでまさか受かるとは思っていなくて、本当に信じられないし、光栄な気持ちで一杯です。まだまだ私の未熟な部分は殆ど見て頂けていないと思うので、稽古で私の未熟な部分をどんどん鍛えて、私も喰い付かさせて頂いて、そんな時間を過ごしたいなと思います。」

瀬奈さん「50年間続いた作品に自分が出る意味というのは凄く考えますし、勿論50年間続いた原動力というのは、勿論、私も守って行きたい部分でもありますが、その中に私らしい風を吹かせて行けたらと思っております。そして初めてお話を頂いた時、私は勿論前回の観劇をさせて頂いた事も思い出したんですけども、昔小さい頃に祖父の家にピカソのドン・キホーテの絵が飾ってありまして、私はその絵が大好きでずっとその絵を眺めていたんです。そのピカソの絵というはとても滑稽で、明るいんだけども何か哀愁があって、ただ凄く前向きな絵なんですよね。それは何かなと子供の頃は分からなかったんですけども、「見果てぬ夢」なんだと観劇した時に気付きました。そんな作品に大好きだったあの絵の世界に自分が入れるチャンスが有るんだって思ったら、とても幸せな気持ちになりましたし、そしてその後、オーデイションという形でかは分からないんですけども、白鸚さんの前でアルドンザの歌を歌わせて頂く機会がありました。私も「ブラボー!」と言って頂いて、今、それを聞いてちょっと嫉妬の気持ちが生まれて「えっ?私だけじゃなかったの?」という。うそです。その時、アルドンザの歌を歌った後に、勉強していなかったんですけど、ドルシネアの歌もちょっと歌ってみて欲しいとご要望がありまして、「馬小屋の方に」を歌わせて頂いて、その後に「うん、宜しくね。」って言って下さったんで。それが合格かどうかは分からなかったですけど、「よろしくお願いします」と言ってその場を去りましたが、受かる受からないは別として、自分がその時間だけでもアルドンザの歌を歌って、その世界に浸れた事、そして白鸚さんと心を交わせた事というのが凄く幸せな時間になりました。それがとても私の中で大きな出来事として残っているので、あの時間に得た自分の感じた事というのは、忘れずに居たいなと思っております。」

現在日本のミュージカル界は盛り上がりを見せ、日本人俳優が海外に進出しているが
松本さんから見て現在の状況はいかがでしょうか。

松本さん「亡くなった中村勘三郎君はNYへ芝居をしに行ったんです。その時僕の所へ海外電話が掛かってきまして、「お兄さん!貴方、イギリスで「王様と私」をやって、ニューヨークのこんな所で(よっぽどやな事が有ったんでしょうね)「ラ・マンチャ」をやって、貴方はやっぱり凄い!貴方は歌舞伎界の野茂だ!」と、野茂選手は引退をしてしまったんですけど、それを思い出しました。私が「王様と私」に22歳の時に出た頃は、日本にミュージカルの「ミ」の時も無かったんですよ。それが今日は日本中何処かで必ずミュージカルを沢山のお客様を集めて、菊田先生は本当に喜んでらっしゃると思いますよ。ですけども、このご質問に対する答えは全部思い出です。私はこれから先しか見ません。随分77にしては無理をしておりますね。でも、役者ってそういう物なんですね。なんかこう、過去を振り返るとね、キリが無いんです。だから何時も常に先を見ていたいんですね。だからこの「ラ・マンチャ」というミュージカルもそういう思いをお客様方に感じて頂ける様なミュージカルじゃないかと。何処にもショーアップされている所も綺麗な衣裳も、何もかも綺麗な舞台は出て来ませんけど何か一つ、コツンと心に響く様な「これで良いのかな俺は・私は」という様な事、口に出すのもあまり大きな声で言えない様な事なんだけれども、人間が本来持っている大事なものを、「星の王子様」の中に「本当に大事な物は目に見えないんだよ」という言葉が有りますけども、あれに近いような。僕も老い先短いですから、僕が居なくなった後も、チャールズ・ディケンズのクリスマス・キャロルの様に毎年必ず、「ラ・マンチャ」の火が点ったら嬉しいなと思います。」

様々な媒体に「遍歴の旅はクライマックスへ」とありますが
50周年公演のクライマックスはどの様にされますか。

松本さん「私は、人生全てがクライマックスだと。この宣伝文句は東宝演劇部の人が考えたんですよね。私はそう思っておりませんので、役者というのは一つ一つの舞台、が毎日のお客様に御覧に入れる自体がクライマックスなんです。そういう気持ちだけは失わなくて、だから振り返らないで前を見て歩きたいです。まあ、少し精神的に若いんですかね、幼いんですかね、幼稚なんですかね。でもよくブロードウェイで英語のエピソードを一つだけ。2時間15分の英語の台詞をよく覚えましたねって。あれ、歌舞伎役者の修行をしていたからなんです。歌舞伎役者は覚えるというか、真似るんですね。先輩の台詞、先輩の踊り、先輩の芸を真似る。「真似るが学ぶ」だったんですね。だから僕に教えてくれた英語の先生の台詞をそのまま真似たんです。あれは歌舞伎役者の修行をしていたから出来たんですね。しかもその英語の先生が数年前に親父が「勧進帳」を教えた俳優だったんです。これも不思議な因縁ですから、その人から「僕は君のお父さんに歌舞伎を習ったからその恩返しで「ラ・マンチャ」の台詞を教えるよ」って、翌日からやりました。そういう結び付きがあります。」

最後に来場者へのメッセージをお願いします。

松本さん「「ラ・マンチャ」を締めろと仰っていたんですけども、この50周年の記念公演の発表会は”締めません!”クライマックスでも御座いません。ずっと続いて欲しいなと。人間やっぱり肉体的には限度が御座いますけれども、魂というか、ドン・キホーテの「ラ・マンチャ」の精神だけは、何時の時代にも生き続けて欲しいと思います。それをお感じの方々が今日御集り頂きまして、共演者の皆様と一緒にこんな素晴らしい会を催して頂いて、私は胸がいっぱいで御座います。本日は本当に有難う御座いました。」

日本初演50周年のまた新たなる『ラ・マンチャの男』が一歩を踏み出します。

 

【ミュージカル『ラ・マンチャの男』制作発表記者会見開催概要】

<日時>
2019年6月13日(木)12:00開始

<会場>
帝国ホテル東京2F「孔雀の間・西」

<参加者数>
一般オーディエンス約200名

<登壇者>
セルバンテス/ドン・キホーテ:二代目松本白鸚
アルドンザ:瀬奈じゅん
サンチョ:駒田一
アントニア:松原凜子
カラスコ:宮川浩
牢名主:上條恒彦
池田篤郎:東宝株式会社取締役演劇担当

【ミュージカル『ラ・マンチャの男』公演概要】

公式サイトはこちら

<公演期間>
大阪公演:2019年9月7日(土)~9月12日(土)
宮城公演:2019年9月21日(土)~9月23日(月)
愛知公演:2019年9月27日(金)~9月29日(日)
東京公演:2019年10月4日(金)~10月27日(日)

<会場>
大阪:フェスティバルホール
宮城:東京エレクトロンホール宮城
愛知:愛知芸術芸術劇場大ホール
東京:帝国劇場

<公演時間>
未定

<料金>
大阪:S席13,500円 A席9,000円 B席5,000円 BOX席16,000円
宮城:S席13,500円 A席11,000円
愛知:S席14,000円 A席11,000円 B席8,000円
東京:S席13,500円 A席9,000円 B席4,500円
(全席指定・税込)
※未就学児童入場不可

<出演者>
セルバンテス/ドン・キホーテ:二代目松本白鸚
アルドンザ:瀬奈じゅん

サンチョ:駒田一
アントニア:松原凜子
神父:石鍋多加史
家政婦:荒井洸子
床屋:祖父江進
ペドロ:大塚雅夫
マリア:白木美貴子
カラスコ:宮川浩
牢名主:上條恒彦

隊長:鈴木良一
ギター弾き:ICCOU
ムーア人の娘:真田慶子
フェルミナ:北川理恵

美濃良
山本真裕
小川善太郎
山本直輝
宮河愛一郎
照井裕隆
市川裕之
佐々木誠
斉藤義洋
下道純一
楢原じゅんや
宮川智之
北村圭吾
飯田一徳
堀部佑介
齋藤信吾
高木勇次朗
島田連矢
大塚紫文
髙田実那

<STAFF>
脚本:デール・ワッサーマン
作詞:ジョオ・ダリオン
音楽:ミッチ・リー
訳:森岩雄、高田蓉子
訳詞:福井崚
振付・演出:エディ・ロール(日本初演)
演出:松本白鸚
演出スーパーバイザー:宮崎紀夫
プロデューサー:齋藤安彦、塚田淳一
振付:森田守恒
装置:田中直樹
照明:吉井澄雄
音響設計:本間俊哉
衣裳協力:桜井久美
音楽監督・歌唱指導:山口琇也
音楽監督・指揮:塩田明弘
歌唱指導:櫻井直樹
振付助手:萩原季里、大塚雅夫
演出助手:坂本聖子
舞台監督:菅田幸夫
制作助手:村上奈実
製作:東宝

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