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S.S.コロンビア号から当時の客船事情を探る

葉ノ瀬さんによるアメリカンウォーターフロントの時代考察、いよいよテーマポートのシンボル、S.S.コロンビア号が登場です。

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コロンビアは開園当初からアメリカンウォーターフロントに君臨するシンボルです。

目に見えるだけではなく様々なショーやレストランの背景でもありますが、それ自体が省みられることはまれです。そこでコロンビアやタートル・トークの待ち列での展示などから、当時の客船『オーシャンライナー』についてみていきましょう。

客船と聞いて皆さんがまず思い浮かぶのはディズニー・クルーズラインのようなクルーズ船でしょう。しかしコロンビアは余暇のための船ではなくオーシャンライナーと呼ばれる交通手段である客船です。飛行機が無い時代、海を越えて人や貨物を運ぶ唯一の手段であった客船は様々な点でクルーズ船との相違点がありました。

 

1.移民

_DSC0972マクダックス・デパートメントストアの経営者スクルージ・マクダック

DSC_1604 275「オーバー・ザ・ウェイブ」に登場したトニオとマリア

 ニューヨークは2004~06年にウォーターフロントパークで開催されたスペシャルイベント「ディズニー・リズム・オブ・ワールド」で謳われるように人種の坩堝ですが、アメリカンウォーターフロントを見渡してもそれはおわかりになるでしょう。ニューヨークで立派なデパートを経営するスコットランド出身のスクルージ・マクダック、母国イタリアに帰ろうと密航するトニオとマリア、フルーツショップを営むギリシャ系のパパダキス、はるばる日本からやってきて日本料理店を開いたチャーリー田中…様々な国の出身であるだけでなくアメリカンドリームを成し遂げた者から船賃を払えない者まで境遇も違う彼らは皆、移民としてアメリカにやってきたのです。

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パパダキス・フレッシュフルーツ

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レストラン櫻のオーナー、チャーリー田中

 19世紀から20世紀にかけて政治や飢餓、ゴールドラッシュなど様々な理由でアメリカへの移民が増加しました。60年間に1,200万人、全盛期には一日5,000人まで増加した移民を捌くためにマンハッタン東南部のエリス島に移民局が設置され、ニューヨークは玄関口として機能したのです。

彼らの渡航の手段は何でしょうか?飛行機が未発達でしたのでもちろん客船です。実は移民である彼らが利用する等級であるステアリッジ (steerage) が当時の需要の中心であったのです。「豪華客船」の響きから利用客は一等の貴族や大富豪がまず思い浮かびますが、そうではありません。コロンビアの定員をご覧ください。一等が385人に対しステアリッジは534人と多いことがわかります。

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 移民の平均所持金がアメリカの労働者の一週間の労賃に等しいほど彼らは大変貧しかったこともあり、一等とステアリッジの運賃差は百倍にもなり一見一等からの稼ぎがいいように思えます。

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 しかしタートル・トークの待ち列に飾られている絵が示すとおり、一等が至れり尽くせりのサービスや広大なスペースを必要とするのに対して、ステアリッジは三食とベッドがあれば十分であり膨大な量の移民を運ぶためコストがかからず収入の中心であったのです。そのため、一等はいわば看板であり、当時の船はすべて移民船といっても過言ではありません。タートルトークに飾られる断面図をご覧になり設備の格差がひどいと思われるでしょうが、長い航海の中死者が出ることもざらであった帆船時代に比べれば蒸気船の旅は快適でした。船会社が主力に力を入れたこともありこの時期になると3等もずいぶん改善され「以前の二等に匹敵する」とまでいわれました。

_DSC1036タートル・トークの海底展望室より上から2等、1等、ステアリッジ。

 しかし1921年の移民制限法の制定により収入源が絶たれ、方針転換をせざるを得ないことを意味します。タイミングよくにジャズエイジ(変化した文化・世相を指す言葉)に突入し、繁栄を極めるアメリカ人の観光客が大挙してヨーロッパに渡り始めました。これをターゲットとし、ステアリッジをツーリストクラスに改装し凌いでいくこととなります。

 

2.国家の威信

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セイリングデイ・ブッフェ入口に掲げられている幕
右にセオドア・ルーズベルトとウィリアム・タフトが描かれている

 コロンビアの進水式にはセオドア・ルーズベルト元大統領とウィリアム・タフト大統領が訪れセイリングデイ・ブッフェで演説を行っています。運航主であるU.S.スチームシップカンパニーの社長、コーネリアス・エンディコット三世がルーズベルトと友人であったことが大統領訪問の理由としてニューヨークグローブ通信に書かれていますが、理由はそれだけではありません。ここに移民輸送と並ぶオーシャンライナーの特徴、「国家の威信」としての側面を見て取れるのです。

19世紀前半までの海上輸送の手段である帆船はどんなに性能が良くても結局は風任せであるためいつ目的地に到着するか確かではありませんでした。そこで風に左右されず航行できる蒸気船に着目した国は郵便輸送の契約を蒸気船を運航する船会社と結び補助金を出しました。条件として例え空荷であっても定期運航することを求められたことが「遠洋定期船」というオーシャンライナーの訳語に表れています。

コロンビアが登場した19世紀後半から20世紀前半にかけて客船は速度、サイズ共に著しく発展しました。しかし「豪華客船」や大西洋横断の速度記録を持つ「ブルーリボンホルダー」といった目立つ肩書きは一等から移民まで引き寄せる売り文句となりますが、そのような船の建造や運航には莫大な経費がかかり一企業では賄えなくなります。ところがこの時代にはとても採算が合わないスーパーライナーが多数建造され次々とブルーリボンを更新し、際限なく巨大化していきます。なぜそのような客船を運航できたのか。それはこのころになると定期運航だけではなく国威発揚をも求められるように変化してきたからです。

海運が国を越える唯一の輸送手段であるこの時代において先に挙げたような肩書きを持つ立派な客船を多数運航することは国力のステータスと考えられました。そこで今まで以上の潤沢な運航補助を与え推奨しました。さらに定期運航を求めるのみならず軍艦以上のサイズにまで発達したライナーを海軍が利用することも視野に入れます。有事の際には兵隊を運ぶ輸送船や大砲を積み、パトロールする仮装巡洋艦として使える高スペックを求めるようになりました。こうして、当初から国との結びつきが強かった船会社はより半官半民企業としての色が濃くなってきたのです。

またそのような船会社を経営する一族ともなれば社会的地位は相当高いものとなります。1920年代のアールデコ文化を支えたパトロネスであるナンシー・キュナードがコロンビアのモデルの一つであるクイーンメリーなどを運航した伝統あるキュナード社の創設者サミュエル・キュナードのひ孫であったように、先のベアトリスがタートルトーク内に飾られるニューヨークグローブ通信に「ニューヨークの社交界の華」と呼ばれることからもエンディコット家の地位の高さが想像できるでしょう。

以上のように船会社は相当社会的地位が高いのでその社長が大統領と友人であることはもちろん、それ以上にスポンサーである政府の関係者が進水式に出席するのは道理ともいえます。

_DSC1027処女航海に出航するコロンビアの前のルーズベルトとタフト。

 同時代の例を挙げますと第一次世界大戦以前のドイツでは、海への進出に熱心だったヴィルヘルム二世のもとに数々の大型船が建造され、有名なタイニックを上回る巨船のインペラトールは彼自身が命名者となったほどです。通常、命名者は女性である (コロンビアの場合、社長の娘であるベアトリス・ローズ・エンディコットが命名したように)ことからも熱の入れようが想像できるでしょう。

 インペラトール(皇帝)、ファーターラント(祖国)、ビスマルク(鉄血宰相)と勇ましいこの三姉妹は船会社であるハパグの社長がカイザーの厚い信任を得て建造した第一次世界大戦以前のドイツ客船の頂点でした。

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インペラトールImperator(1913-1938)52,117総トン(個人蔵:転載禁止)

以上で挙げた移民輸送と国家の威信を担う点がオーシャンライナーの最大の特徴といえます。特にコロンビアが就航したニューヨーク~リバプール線、すなわち北大西洋航路は旧大陸と新大陸を結ぶ大動脈であり、このような世界一の花形路線には各国が競って最新の技術と芸術を盛り込んだ魅力あふれるライナーを就航させました。

しかし第二次世界大戦後に飛行機が発達すると、状況は一変します。どんなに速いブルーリボンホルダーであっても渡航に数時間しかかからない飛行機にはかないません。ほとんどの乗客を奪われ、さらに補助の名目であった郵便輸送も飛行機が担うようになるとオーシャンライナーは存在意義を失い、補助金を前提とした恐竜的進化を遂げていた為、他に転用するわけにもいかず次々と解体されていきまいた。現代のクルーズ船は運航補助無しに自力で稼ぐためスタイルから目的も何も本質的に違うのです。

このように過去のものになった現在でも、大西洋横断サービスの老舗キュナード社がクイーンの名を頂く客船を運航し、ディズニー・クルーズラインがオマージュを捧げるよう、いわゆる「古きよき時代」の産物であるオーシャンライナーは人気を博しています。

コロンビアがいかに1912年のニューヨークという時代を演出している重要な存在かおわかりになりましたでしょうか。そしてもう一つ、オーシャンライナーが大型であるがゆえに保存されることが少ない中(保存されている戦前のライナーはクイーンメリーと横浜の氷川丸のみ)コロンビアがいるアメリカンウォーターフロントは客船単体だけでなく当時の周辺の雰囲気まで体験できる格好の場所でもあるということです。普段触れることのない世界に入り込んでいることを意識してみるとまた違った楽しみが見えてくるでしょう。

【寄稿者情報】

葉ノ瀬 さん

20世紀初頭の乗り物に大変詳しく、東京ディズニーリゾートを様々な視点から観察し、記事やツイートをされている。

葉ノ瀬さんのS.S.コロンビア号に関する記事はまだまだ続きます。

今後の記事にもご期待ください。

Twitter:@N_Hanose

Blog:寝古鉢鉄工所

葉ノ瀬さんの寄稿記事はこちら

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