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『東京ディズニーシーの帆船たち』 第1回:ルネサンス号 〜その1ガレオン船とその時代〜

去る2013年6月、神戸海洋博物館の屋外展示として親しまれてきたコロンブスの旗艦「サンタ・マリア号」の復元船が、経年劣化のため保存不可能と判断され、多くの帆船愛好家に惜しまれつつ解体されました。実際に航海していなくても、船舶の維持管理には莫大な費用と手間を要するので、博物館等で保管されている船でさえ決して安泰とは言えないのが現実です。

しかしここに、多数の復元帆船を擁し、潤沢な資金で維持管理している施設があります。そう、日本が誇る海洋テーマパーク、東京ディズニーシーです!大小10隻を超える様々な時代や地域の帆船が、パークのあちこちで私たちを迎えてくれます。

CIMG2863アメリカンウォーターフロントの「シー・ウルフ号」

ウォーレス号ケープコッド湾内の「レイモンド・E・ウォーレス号」

CIMG2825アラビアンコーストの“ダウ船”

えっ?単なる遊園地の遊具、飾りモノじゃないかって?いやいや、侮るなかれ!これらの復元帆船は、決して博物館の復元船に劣るものではありません。第1回目の今日は、ディズニーシーの象徴の一つとも言うべき「フォートレス・エクスプロレーション」のガレオン船「ルネサンス号」から紹介します。

 

§ ルネサンス号とS.E.A. §

エントランスからディズニーシー・プラザを抜けてホテル&パークゲートウェイをくぐれば、火山の麓にある中世の要塞と、その前面に浮かぶ三本マストの木造帆船が目に飛び込んできます。今回の主役、ガレオン船「ルネサンス号」です。

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この船は、停泊している要塞「フォートレス・エクスプロレーション」共々、“Society of Explorers and Adventurers”(探検家・冒険家の学会 略称S.E.A.)に所属しています。パンフレットによれば、このS.E.A.は大航海時代たけなわの1538年に、各国の冒険家達が国境を越えて探検の成果を共有する目的で設立したもので、このとき活動拠点として要塞を譲り受けた、とされています。要塞や船のあちこちに、S.E.A.の紋章と1538という年号を見ることができます。

CIMG2771要塞の門にあるS.E.A.の大紋章。

CIMG2714大砲に刻まれた紋章と年号

実際のところ、大航海時代の探検航海は、交易ルートの開拓や植民地の獲得といった国家的利益と密接に結びついており、その記録は国家機密扱いで厳重に秘匿されていました。コロンブスの航海記も、隠された挙句に行方不明になってしまい、現在では要約しか見ることができません。学術的な成果が強調されるキャプテン・クックの航海(第1回1768~1771)や、かのダーウィンが参加した「ビーグル号」の航海(1831~1836)も、新領土や航路の獲得、あるいは軍事目的の測量といった側面を持っていました。純粋に科学的な探検航海が、国際協力のもとに行われるようになるのは、「チャレンジャー号」による深海調査(1872~1876)を待たねばなりません。今でこそ学問の国際交流は常識ですが、時代を考えれば、S.E.A.は随分と先進的な組織だったと言えそうです。

 

§ 大航海時代の帆船 §

それでは、要塞前面の港に停泊する「ルネサンス号」を見ていきましょう!ガイドブックなどにも書いてありますが、「ルネサンス号」は“ガレオン船”(ガリオンとも)と呼ばれる形式の帆船です。16世紀の後半から、ヨーロッパの各国で商船・軍艦・探検船として活躍しました。このフネの正確なデータは公開されていないのですが、Googleマップ上の計測では全長20m超くらいですから、同時代のフネから推測すると載貨重量トン(積める荷物の重さ)が80~100トン、排水量(船そのものの重さ)が60~80トン程度と思われます。大きさは前述の「サンタ・マリア号」と同じか、少し大きいくらいですので、大航海時代の探検家の気分を味わうにはぴったりの大きさと言えるでしょう。

ここで、当時の探険家たちが使った船が、どのようなものだったかを見ていきましょう。

大航海時代が始まった15世紀半ば、探検船団の主力を担ったのは、三角帆(ラテンセイル)を備えた“キャラベル船”です。もとは地中海方面で発達した小型の商船で、大航海時代を牽引したポルトガルで探検船として改良されたと言われています。風上に向かって斜めに進む(これを“切り上がる”という)能力に優れ、アフリカ沿岸の探検航海などで活躍しました。「ルネサンス号」の近くに停泊する2本マストの小型船(船名不詳)は、このタイプです。このフネについては、別の回であらためて解説します。

tds_fune1フォートレス・エクスプロレーション前のキャラベル船

15世紀後半から16世紀初頭になると、探検の舞台は大西洋やインド洋、ついには広漠たる太平洋に達しました。小型のキャラベル船は外洋での航海が難しいため、探検船の主力は“キャラック船”と呼ばれるタイプに移ります。北ヨーロッパで使われていた“コグ船”という四角帆(スクエアセイル)の船と、キャラベル船を融合させたもので、3本ないし4本のマストを備え、前方の二本に四角帆を、後方のマストに三角帆を張っていました。この帆装により、外洋の貿易風(季節ごとに一定方向に吹く風)を捉えて大海を渡る能力を得ると共に、ある程度は風上に切り上がることも可能になります。外洋で波が打ち込まないように、船首と船尾には高い船楼が備えられました。コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼランといった冒険家たちは、みなキャラック船を旗艦として航海に乗り出したのです。

ヴィクトリア号

世界周航を成し遂げたマゼラン艦隊のビクトリア号(復元船:筆者撮影)

キャラック船に続いて登場するのが、ガレオン船です。キャラック船は船体が丸く、積載量はありましたが速度は出せませんでした。また、大型化した船首楼は風の抵抗を受けるため帆走性能の低下を招き、また重心が高くなるので船の安定性を損ないました。このような欠点を解消し、より高い航海性能を獲得したのがガレオン船でした。船体はスマートになり、キャラック船では長さと幅の比率が3:1程度なのに対し、ガレオン船は4:1かそれ以上の比率になっています。船首楼は低く抑えられていますが、同じように風の抵抗を受ける船尾楼は、あまり小型化されていません。映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」を観てもわかりますが、帆船時代は海賊に限らず敵船に乗り込んで白兵戦を行うことが少なくなかったので、甲板上の敵兵を上から攻撃できる“とりで”としての船尾楼は、なかなか削減できなかったものと思われます。ガレオン船は完成度の高い帆船であり、用途に合わせた改良を加えながら17世紀末まで用いられました。その後に登場する近代的な帆船も、基本的な構造が大きく変化したわけではないので、ガレオン船の子孫であると言えるかもしれません。

 

§ ガレオン船の各部名称 §

それでは、「ルネサンス号」を例にとって、ガレオン船の各部名称を見ていきましょう。

まずは、マストや帆に関する部分から。

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3本のマストは、前から“フォアマスト”“メインマスト”“ミズンマスト”と呼びます。前述のように、前の2本には追い風を受けて走るための四角帆(スクエアセイル)が、後ろの1本には風上に切り上がるための三角帆(ラテンセイル)があります。このように、最後尾のマストのみ縦帆(船首尾線に対し水平に設置される帆)を張り、前部のマストに横帆(船首尾線に対し垂直に設置される帆)を張っている形式の帆船を、現在では“バーク型”と呼んでいますが、大航海時代当時は今のような分類は確立していません。

フォアマストとメインマストには、それぞれ2枚の横帆が張られています。下の帆は“コース”、上の帆は“トップスル”と称し、それぞれのマストの名前を頭に付けて“フォアコース”“メイントップスル”といった呼び方をします。多くの帆を張るためにはマストを高くする必要がありますが、一本の円材では長さに限界がありますので、“トップマスト”というもう一本のマストを継ぎ足して、真ん中にあるお皿のような部分で接合しています。このお皿は“トップ”と呼ばれ、“見張り台”と訳されることが多いのですが、本来の用途はトップマストを支える部品です(もちろん見張り台としても使っていますが)。

マストとは別に、船首から斜めの円材が突き出しており、これをバウスプリット呼びます。もともとはフォアマストのステイ(支索:マストが倒れないように、船首尾方向に張ったロープ)を支えるための部材ですが、15世紀末(コロンブスの頃)には、ここに“スプリットスル”という帆を張るようになり、「ルネサンス号」にもスプリットスルのヤード(帆桁:帆を張る円材)がついています。追い風を受けて推力を得るための帆というよりは、大きな船尾楼にかかる風の抵抗とバランスをとるため、あるいは風下側に回頭する際に操舵の補助として用いるための物でした。

実は、「ルネサンス号」の帆にはS.E.A.の紋章が大きく描かれているのだそうです。「フォートレス・エクスプロレーション」の何処かに、展帆した「ルネサンス号」の姿を見ることができる場所がありますので、ぜひ探してみてください!

次は、船楼や甲板について。

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ガレオン船には船首楼と船尾楼があり、船首楼の上の甲板を“フォクスルデッキ”(船首楼甲板)といいます。船尾楼側の甲板は二層になっていますが、下段の甲板は“クォーターデッキ”(船尾甲板)、上段は“プープデッキ”(船尾楼甲板)と呼ばれます。クォーターデッキの奥には操舵装置や羅針盤(コンパス)、船長室などがあり、船の中枢部になっています。最上段のプープデッキも船の士官の居場所ですが、「ルネサンス号」のプープデッキには残念ながら登ることができません。

船首楼と船尾楼の間の低い甲板は“ウエスト”(中甲板)と呼ばれます。その上に掛かっている橋の様なものは“ギャングウェイ”(船楼間通路)です。本来ギャングウェイには手すりが無いのですが、これは安全上しかたない処置でしょう。ギャングウェイの横に付いている魚網のようなものは“ボーディング・ネット”といい、ちゃんと役目がありますが、これについては別の回で解説します。

船首の下部には、バウスプリットを支えるための“ビークヘッド”(船嘴)という突出部があります。この部分の内側は“ヘッド”といい、乗組員のトイレになっていました。帆船は基本的に後ろから風を受けて走りますから、悪臭を発するトイレは一番前にあるのが好都合なのです。ただし、ここは船で最も波を被りやすい場所なので、海が荒れている時などは用を足すのも命がけでした。

 

§ ルネサンス号の時代考証 §

S.E.A.の設立は1538年ですが、ガレオン船の登場はもう少し後になります。「ルネサンス号」は、いつごろの船なのでしょうか?そのヒントになるポイントが何箇所かあります。

①船体塗装

「ルネサンス号」の船体には、S.E.A.の紋章や、幾何学模様がペンキで描かれています。これは16世紀~17世紀初頭のやりかたで、それ以降になると船体の装飾は立体的な彫刻が多くなりました。彫刻の例に挙げたのは1628年に建造されたスウェーデンのガレオン船「ヴァーサ号」の船尾装飾です。この船は竣工直後に突風で沈没してしまいますが、1961年にサルベージされて現在はストックホルムの博物館で保存されています。

船体の紋章「ルネサンス号」船尾楼に描かれた紋章

ヴァーサ号彫刻

「ヴァーサ号」船尾の彫刻。一部に当時の塗装が再現されている(筆者撮影)

②真ん中にあるギャングウェイ

船首楼と船尾楼を行き来するためのギャングウェイですが、「ルネサンス号」では船体の真ん中に設置され、船倉のハッチ(艙口)の上を塞いでしまっています。また、帆船は作業用のボートを何隻か搭載する必要があるのですが、これも船体中央にギャングウェイがあると収納場所の確保が面倒になります。実はこの中央配置、戦闘の際には利点があるのですが(このあたりの事情も別の回で説明します)、やはり平時には不便と言うことで、17世紀半ばには行われなくなりました。この後、ギャングウェイは舷側に沿って設置されるようになり、英語名はそのままGangwayですが、日本語では“舷側通路”と訳されるようになります。

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船倉の真上にこんな物があっては、正直じゃまである

③ずれたバウスプリット

バウスプリットをよく見ると、船体中央よりも右舷寄りから突き出ているのがわかります。これは、フォアマストが船首楼の前縁ぎりぎりに立てられているため、バウスプリットをしっかり固定するには、フォアマストの横に差し込まざるを得ないからです。これも16世紀末から17世紀初頭にかけてのガレオン船に見られる特徴で、特にスペインや、その属領だったフランドル地方で建造された船では顕著でした。後にフォアマストがもっと後方に設置されるようになったため、バウスプリットも船体中央に収まるようになります。

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中心線からずれたバウスプリット

船首楼内

船首楼の内側から見ると、フォアマストとの関係がよくわかる

ヴァーサ号船首

上記「ヴァーサ号」のバウスプリット。これはほぼ中央に設置されている。(筆者撮影)

 

以上のような点から、「ルネサンス号」は16世紀末から17世紀初頭のガレオン船であると判断できます。これが単なる“遊園地の海賊船”ではなく、しっかりと時代考証を行ったうえで造られた“復元船”であることが御理解いただけましたでしょうか?もちろん問題点も少なからずあり、そのあたりも次回以降でお伝えしていく予定ですが、博物館にある復元船や保存船も、展示品としての利便性や安全上の配慮などから妥協している点が多いという事を考慮すれば、冒頭でも申し上げたように、「ルネサンス号」は決して博物館の展示品に劣るものではないのです。

次回は「ルネサンス号」船内にある航海器具や、当時の船乗りの生活について解説します。

【寄稿者情報】

ぐんそうさん

・来航外国帆船の見学会や重要文化財明治丸の修復等に関わる帆船愛好家団体「SaltyFriends」のメンバーとしてご活躍。
・『週刊HMSヴィクトリーを作る』監修(デアゴスティーニにて刊行中)

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